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2018年のお盆になって、

2歳になったばかりの男の子が行方不明になってましたが、


3日後、68時間ぶりに、

大分県からかけつけてくれたボランティアの尾畠春夫さんによって、

無事、発見されました。


尾畠春夫 



〉〉〉よく生きていた――。

(山口県)周防大島町家房で行方不明になっていた、

防府市の藤本理稀(よしき)ちゃんが3日ぶりに見つかった。

〉〉〉地元の消防団長を務める浜本孝則さん(60)は

理稀ちゃんが行方不明になった12日から捜索に加わっていた。

「14日も山をしらみつぶしに探したが、見つからなかった。

この暑さでよく生きていた」と喜んだ。

〉〉〉3日間の捜索は警察、消防、海保、町役場に加え、

地元住民やボランティアも多く加わっていた。

〉〉〉理稀ちゃんが見つかったあたりの山中は

10年ほど前まではみかん畑があったが、

いまでは地元の人でも近づかないという。

まむしもいるし、草もぼーぼー

ずっと上り坂で子どもにはきつかったのでは」と気遣った。

朝日新聞 2018/8/16


よしきちゃんが、行方不明になったのは、

8月12日午前10時半ころ。


おじいちゃんと兄(3歳)と三人で、海へ向かって歩いていたところ、

家から100メートルのところで、「帰る」と言ったので、

一人で帰らせたとのこと。


おじいちゃんが、2歳の子を一人で戻らせたのは、

後から母親が来るから、理稀ちゃんひとりでも、

戻っていけば、母親と出会うだろうから、

大丈夫では、と、思ったのではないでしょうか?

だから、ひとりで戻らせたのだと思います。


母親のほうは、先に家を出た3人を追いかけて、

5分後に、他の二人の子供を連れて、海岸へ向かったのですが、

よしきちゃんとは出会うことがなく、家に戻っていないことがわかったとのこと。


その理稀ちゃんを、3日後の、15日早朝に見つけた尾畠春夫さん。




尾畠さんは、まっすぐで、

そして、何も疑わない方なのか、


報道陣が、生年月日を聞いても答えるし、

また住所も聞かれたまま、答えて、それも細かく話しされています。


もちろん、住所をしゃべっているところの音声は消されていますが、


おかげで、尾畠さんの生年月日がわかりましたので・・・


尾畠春夫さん 昭和14年10月12日生まれ

  

  

    牽牛星 天極星

牽牛星 玉堂星 調舒星

天報星 鳳閣星 天南星


太陽・天秤座で、月も天秤座です。


太陽・月、両方が天秤座なのに、


全く警戒心なく、住所まで、答えてしまわれる・・・


天秤座はノリのいいところがありますけれど・・・


「えと(干支)は、黒ウサギ、奄美の黒ウサギ」


報道陣の人たちも(゚m゚*)プッ


それに、尾畠さんは本当に涙もろく、

よく涙ぐまれているのをみると、

火の星座を生まれた時間にお持ちではないかな、と、思うのですが、


尾畠春夫 涙 


尾畠春夫 涙1 


それはともかく、


尾畠さん、

出発前に、インタビューを受けたときに、

理稀ちゃんに会えそうな気がする、って、言っていたそうです。


そのことを自宅に戻った尾畠さんに聞いたインタビュー動画




「朝3時半目が覚めて、

ご飯食べたり、いろいろ用意しよっと時に、

なんかね、胸騒ぎちゅうんでもないけど、

なんか今日、彼に会えそうな気がしたんですよ


そして、本当に、出発して30分ほどで、

理稀ちゃんを発見してしまったのですが、


尾畠さんの日干支・壬午は、

丁亥辛巳とともに、三大霊干支と言われるもので、

正夢を見たり、

先を見通せたりする力を持っているのです。


特に、尾畠さんの場合、

月干支が甲戌で、これも異常干支ですので、

余計にその力が現れるのではないかな、と思います。


そして、尾畠さんの第一守護神」が

第一番目の場所の月干にあり、

そのうえ、その根っこが年支ので、

甲に対して卯は、天将星になります。


つまり、尾畠春夫さんは、守護神帝王!


スゴィッ(*゚д゚ノノ


本人の努力にかかわらず、運勢が伸びていく・・・

その運勢も最高に強い・・・・


ヾ(*゚∀゚*)人(*゚∀゚*)ノ


なのですが、


ちょっと残念なことに、

この守護神帝王になる「」は

お隣の年干の「」と干合して質を変えているときがあるので、

純粋な「守護神帝王」ではないのですが・・・。


でも、


〉〉〉40歳で登山を始めて、

58歳で北アルプス55山を単独縦走した。

そのころから、

由布岳の登山道の整備のボランティアを始めていた。

月に7・8回、30キロから40キロの材料を担いで登り、

登山道の整備をしたり、案内板を設置したりした。

65歳の誕生日で、鮮魚店をやめて

鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで、

日本列島を徒歩で縦断する旅に出る。

2006年4月1日に出発、

7月1日に全行程3250キロを歩き、無事到着。


「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、

体力がどのくらいもつのか、動機は単純じゃ」



体力作りは、

「普段は、毎朝8000メートル走ってるんです。

毎朝、12700歩くらいかな。

家おるときはね、5時~6時くらいまで。」


・・・「8キロというのは、何か根拠でも・・・」

「いやあ、私は末広がりが好きだから・・・」


( ゚з゚ ) プッ

そして、健康面では、


悪いところは三つあります。

 顔が悪いんです、

 色が黒すぎます、

 足が短すぎます


と言って笑わせているくらいで、

体調の悪いところはないみたいですね。


そっか・・・

生まれた年が卯年で、うさぎ=白い・・・

だから、色の黒い自分のえとは「黒ウサギ」・・・・


リョウカイ!(^-^ゝ


そして、日本縦断の旅のときに、


毎日、朝夕にの声公衆電話で聞くことで、

それを励みにしていた、


という話ですから、


尾畠さんには奥様がいて、そして子供もいて、

その子供も結婚して、孫も生まれていることがわかります。


大成功というわけではないでしょうが、

人並みかそれ以上の人生を歩まれたのではないでしょうか・・・・


尾畠さんはおっしゃいます。


学歴も何もない自分がここまでやってこられた。

社会に恩返しがしたい

と言ってされているボランティア。


尾畠さんのご実家は、貧しかったので、

小学校5年生のときには、

農家に奉公に出されたって、おっしゃってました・・・・


この時期は、尾畠さんの大運の天中殺の時期でしたね。


やはり幼いときに苦労されているからでしょうか?


この奉公したときのいろんな経験・体験や思いが、

社会に恩返しがしたい、という思いにつながっているのでは、

と、推測します。


尾畠さんは、

守護神帝王に準じるものを持っておられるだけあって、

鮮魚店の経営は、それなりに繁盛されたのではないか、と、思います。


だから、恩返し、と!


それにしても・・・・


見つけてくれたお礼として、

理稀ちゃんのおじいさんが、食事とお風呂を、と言ったら、

お断りになられたそうで、


ボランティアは「自己完結」「自己責任」と。


天秤座太陽の下降の位置なので、

あれもこれもはやれないのです。

やれることは一つと、決めています。


その意味で、とても頑固ですし、

尾畠さんは、太陽も月も天秤座のダブルなので、

余計に、その信念は固いのだと思います。


助けてもらったほうは、せめてのお礼がしたい、と思うのですけど・・・・


それに、


壬午は、財と名誉を兼ね備えている干支です。

まじめでしっかりしている人で、

真面目に生きることで、名誉も財も安定します。

大きな財は身につかないが、

日々の生活に困ることはない・・・


広島の豪雨災害でのボランティアも、

泥水を含んだ畳を二人で運ぶ方法を伝授したりするけれど、


尾畠さんはもっぱら、

床下の泥かきをおやりになっていたとのこと。


率先して、人が嫌がる汚れ仕事をおやりになる尾畠さん・・・・


本当に、頭がさがります。


〉〉〉「おいちゃん、ここ」って言う声が聞こえた時は、

頭がまっしろになりました。

もううれしかったです。

小さな命が助かったなあ、って、思って(涙)

本当にうれしかった。


〉〉〉「マイクで母親がよびかけていたのは聞いたけれど、

本人には感じんじゃろな、と。

それより、みんなで山の中にはいって、

ナマの声でな、よしくーん、って言ってあげたほうがずっといいと思う」


〉〉〉「何も求めないのが真のボランティア。

それも日本人のよいところのひとつだと思いますね。


〉〉〉「人の痛さ、悲しさ、つらさ、

それがわかる人間になってほしい」


〉〉〉「水さえあれば、大丈夫。食い物だけではだめです。

あの状態だったら、あと4・5日は大丈夫じゃろね。

人間て強いなあ、って、思った、

水があったら、生きられるなあ、って、思った。


背中には、

〉〉〉命はひとつ、人生は一度 交通安全


報道の人が、尾畠さんが背負ってるリュックを見せて、といったら、

「昨日、買ったばっかしなんじゃが」

と冗談言って見せてくれたリュックは、

使い込まれて、

蓋のふちも手縫いで修理してある年季がはいったもの。


スマホはもちろん、携帯もお持ちでなく、

車中泊をするための寝袋も、ご自分で縫われたもの、とのこと。


そして・・・


「大分県です」
「幼い子供の命を助けてあげたいなあ(涙声)と思って・・・」

わざわざではないです。日本人だから


人のために親身になってできる民族が「日本人」


私も、日本人として生まれたことを、誇りに思い、

そして、私も、

人様のために役立つことをなにかしたい、って、思う日々です。




今年もまた、広島と長崎の原爆の日がやってきて、

73回目の終戦記念日を迎えようとしています。


いつまでもアメリカ占領軍のWGIP

War Guilt Information Program

日本人に自虐史観を植え付ける洗脳工作プログラムから脱出して、

日本人として

私たちの先祖が、

邪悪な国々と、どう対峙し、どう戦ってこられたのか

その真摯な姿を、今こそ、知らなければいけないと思います。



【大東亜戦争の真実】

日中戦争支那事変は、

壊滅寸前の共産党がしかけたワナだった!! 

『新・真相はかうだ』より 2016/12/02


〉〉〉一般に日中戦争は、1937年7月7日

盧溝橋事件日本軍が侵略戦争を発動したことに

はじまると私たちは教えられてきた。

しかし、それははたして真実なのであろうか? 

本当に日本軍は自らそうしたいと決意した上で

盧溝橋事件を引き起こし、

それを口実に中国に対する「侵略戦争」を開始したのだろうか?

その真偽を探るため、

ここでは盧溝橋事件の36年前までいったん時計の針を戻してみたい。


〉〉〉そもそものはじまりは1901年

義和団事件後に締結された辛丑条約にまでさかのぼります。

当時の中国は、義和団の乱が収束した後も

治安の悪化に歯止めがかからず、事実上の無政府状態でした。

当然、各地では強盗や殺傷事件が頻発し、

外国人居留民の生命財産も脅かされていました。

それなのに、そうした犯罪を取り締まるべき

清朝政府相変わらず政治的混乱が続いており、

このままでは治安の回復は当分望めそうもありません。


〉〉〉そこで、事件後にむすばれた辛丑条約では、

治安維持と居留民保護のための

外国軍による主要都市への駐留も認めることになったのです。

これはある意味、いまのソマリアのようなものだといえるでしょう。

ソマリアには一時期国連軍という名の外国軍が駐留していましたが、

それに対して侵略だなどと非難する人が

その当時いったいどれだけいたでしょうか? 

同様に義和団事件後に中国領内に軍隊を駐屯させるということは、

今で言う国連平和維持軍のようなものだったのです。


〉〉〉このように当時、

日本が軍隊・支那駐屯軍を北京郊外に駐留させることになったのは

国際法に則った合法的な行動であり、

当然ながら国際社会からも認められたものでした。


〉〉〉というより、

地理的に自国軍隊を派遣するのが困難だったヨーロッパ列強からは、

ぜひともという形で日本側に要請された行動でもあったのです。

したがって、これを侵略だ、などいって

非難するのはお門違いもいいところでしょう。

仮にそうしたいのであれば、

その前に自国の治安くらい自国でなんとかしてから、非難してもらいたいものです。


(*'-')//”パチパチ☆


〉〉〉ちなみに当時軍隊を駐屯させていたのは

なにも日本ばかりではありません。

他の列強も同様に軍隊を駐屯させていたのだということも

この際、常識として知っておきたいところです。


そうなんです。


もし、日本が中国を侵略したかったのであれば、

1901年には、軍を駐留させているのですから、

その時点で、さっさと、やればよいのです。


侵略戦争、と言われる日中戦争が始まるのは、1937年

40年近くも何していたのでしょうね?

?(゚_。)?(。_゚)?


という素朴な疑問が出てくるくらい、

「侵略戦争をやったー!」という日本への非難は、

誰にでもわかる大嘘の捏造なんですけど・・・


もう少し詳しく見ていきましょう。



〉〉〉1934年10月蒋介石軍との戦いに敗れた

毛沢東の共産党軍は根拠地の中国南部を脱出し、北西部へと逃れた。

いわゆる大長征である。


〉〉〉1936年秋2年にわたる逃避行の末、

毛沢東の共産党軍はソ連国境に近い延安に到着した。

しかし、そこは不毛な黄土台地にある

中国でも最も貧しいとされる地域であった。

加えて、その兵力は出発時の十分の一まで激減していた。


毛沢東 逃避行 


〉〉〉兵隊はいないし、武器もない。

これでどうやって戦えというのだ? 

いや戦いどころではない。

今いる兵隊たちをどうやって食わせていけばよいのだ…。

毛沢東は頭を抱えた。

http://propagandawar.info/why-ija-in-china/


ところが、

そんな毛沢東に転がり込んできた天からのお恵み・・・


〉〉〉1936年12月12日

国民党軍と共に毛沢東の共産党と戦ってきた張学良が、

叱咤激励しに来た蒋介石を軟禁してしまうという西安事件が起きる。

http://blog.livedoor.jp/kota6053/archives/2009-09.html


〉〉〉「共産党への協力と一致抗日」を毛沢東に迫ったのである。

いわゆる西安事件である。


毛沢東は、蒋介石との戦いに敗れて

東へ東へと、ただただ逃げてきたのです。


その宿敵・蒋介石を、張学良が監禁してくれた~?


∑q|゚Д゚|pワオ!本当?


°゚°。。ヾ( ~▽~)ツ ワーイ♪超ウレシイ!(by毛沢東)


そこで、毛沢東は、


〉〉〉「もし一致抗日に協力してくれるなら、

われわれは喜んであなたの配下になりましょう」と蒋介石にもちかけた。


〉〉〉要は今までのことを水に流し、

倒産寸前の自分たちを吸収合併して救ってほしいという

虫のいい要求であった。


〉〉〉しかし、蒋介石はそう甘くなかった…。

「あいつら前回も俺らの仲間になるふりをし、

勝手に入り込んできておきながら結局裏切ったからな。

そうは問屋がおろさんぞ」


そうなんです・・・・


倒産寸前の毛沢東にとって、

敵を日本と日本軍にして、蒋介石と組めれば、

もう、蒋介石軍にやられることはなくなるのです・・・・


食うに困った瀕死の毛沢東は考えました!


「敵」が「敵でなくなる」方法・・・・


それは、新たな共通の敵を作り出して

そいつを一緒にやっつけよう!と連携すること。


(*Θ∀Θ)σ僕ッテ頭イイー!(by毛沢東)


ですが、

簡単に、「うん」とは言わない蒋介石・・・


だって、すぐに裏切るんだもんね、毛沢東くんて・・・


そこにまた、毛沢東に天からのお恵みが降ってきました・・・


〉〉〉1937年7月7日

北京郊外の盧溝橋で謎の発砲事件が発生。

それを機に日中の小ぜり合いが発生したのである。

世に言う盧溝橋事件である。


〉〉〉これに対し、共産党は

事件発生からわずか数時間後には通電を発し、

全国民に向けて一致抗戦を訴えた。

まるで事件を事前に予知していたかのような

異例の段取りの早さだった。


毛沢東 抗日戦線宣言 


はあ・・・毛沢東さん、大したもんです・・・

(☆゚Д゚)ノ━━ハア!! 


ところが!


〉〉〉あわや全面衝突かと危惧されたが、

日本政府不拡大方針堅持

直後に結ばれた現地停戦協定によって

小ぜり合いはいったん収束に向かった。


〉〉〉毛沢東は落胆した。

日中が衝突すれば内戦より抗日を求める世論が高まり、

それだけ国共合作(国民党軍・共産党軍合作)

もくろむ共産党にとっては追い風となるはずだったからだ。


そうなんです!


なにせ、もう先がない瀕死の毛沢東にとって、

蒋介石軍を敵にしないで、

味方にできる対日本戦になってくれれば、

どんなにありがたいことか・・・・


だけど、日本は、その手に乗らなかったのです。


だって、日本は、

中国に対して何か敵意があるわけでもないし、

なにゆえ、戦争しなきゃならないんだ?

ってことですね。


戦争する理由がまったくないんです!日本には!


だから?


〉〉〉停戦協定が結ばれたその直後から、

どういうわけか日本人をねらった

殺害事件挑発事件が中国各地で頻発

その結果、停戦協定は事実上無効となってしまったのである。


〉〉〉この間に発生した

中国側による挑発事件の主なものは以下の通りである。


7月13日 大紅門事件(爆殺により日本兵4名が死亡)

毛沢東 大紅門事件 



7月25日 廊坊事件(日本軍が銃撃を受ける)

毛沢東 廊坊事件 


7月26日 広安門事件(日本軍が銃撃を受ける)

毛沢東 広安門事件 


〉〉〉北平居留民保護のために、日本軍広部大隊は、

26台のトラックで、北平城内の日本兵営に向かった。


(※中国での「城」は日本の「町」のこと。

中国は大陸なので、周りを壁で囲わないと治安は守れない)


〉〉〉事前に松井特務機関長が

部隊の北平外城広安門(廣安門)通過について

冀察政務委員会当局と交渉して秦徳純市長の承諾を得た上で

連絡の為に、冀察政府軍事顧問・桜井少佐が午後6時頃広安門に赴くと

門を警備していた中国軍が城門を閉鎖していたため、

開門について交渉した結果

午後7時半頃開門され部隊が門を通過を始めたが

部隊の3分の2が通過した時に突如、門が閉ざされ、

広部部隊を城門の内と外に分断した状態で

不意に手榴弾と機関銃の猛射による攻撃

加えてきたため広部部隊も門の内外から応戦した。

https://ameblo.jp/tank-2012/entry-12054686568.html


ひどーい!┌|゚□゚;|┐


そして、
7月29日 通州事件(日本人居留民223名惨殺される)


毛沢東 通州事件 


毛沢東 通州事件

『ああ、悲愁!通州城!』

虐殺、掠奪、破壊、鬼畜の乱舞 無残累々たる死屍』

「この仇とらでは!」

「保安隊の帽子かぶり 奇蹟の生還語る」


毛沢東 通州事件 犠牲者 

残忍に殺された日本女性の検死をする医師


毛沢東 通州事件 東京日日新聞 
『通州保安隊反乱の全貌』

「近水楼に弾丸集中 比類なき鬼畜行動

 我居留民に暴虐の限り」


中国人の保安隊(警備隊)が居留民である日本人を惨殺したのです・・・

保安隊の人だからと、無警戒のところを、やったのです・・・


ΣΣ( ̄◇ ̄;)!ハウッ!?


8月9日 大山事件(大山勇夫海軍中尉が殺害される)
〉〉〉1937年(昭和12年)8月9日、上海において、
日本海軍上海特別陸戦隊中隊長の大山勇夫中尉と
運転手の斉藤要蔵一等水兵が車に乗って
支那の軍用空港だった上海虹橋飛行場に視察に向かったところ、
共同租界用の自由通行路上で支那の保安隊に包囲され、
機関銃で撃たれ殺害された。

毛沢東 大山事件 

〉〉〉大山中尉は自動車のわきに

多数の機関銃弾を浴びて殺された上に、
頭を青竜刀で割られていた


斉藤一等水兵は運転台で多数の弾を受けて死んでいた。

支那保安隊の隊員とされる一名も死亡していた。

〉〉〉同日、日本と支那の間で外交交渉が始まり、

支那側は
大山中尉がピストルで支那保安隊員一名を殺害したので反撃したと主張。

〉〉〉しかし、

大山中尉にピストルで射殺されたとする支那人の遺体を
病院で解剖したところ、体内からピストルの弾ではなく
小銃弾が出てきたのでウソがばれた

〉〉〉また、日中合同調査の報告を受けた海軍省の発表では、
そもそも事件当時、大山中尉は武器を所持しておらず
斎藤水兵も拳銃をホルスターに入れて
肩に掛けながら自動車を運転していた。

支那人が支那人を殺して

死体を大山中尉殺害現場に置いたことが証明された

毛沢東 大山事件 東京日日新聞  
『暴戻!鬼畜の保安隊 大挙包囲して乱射』


日本はこの日、外交官・船津振一郎を介しての和平交渉で、

中国側と最初の会談が行なわれたのだが、
その最中にこの事件が起きたのである。
これにより船津和平交渉は交渉初日に頓挫してしまった。

http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-280.html



日本側は、大山事件当日、

元外交官船津振一郎を介した和平交渉(船津和平工作)で、

満州事変以後、

日本が得た権益のほとんどを放棄するつもりでいた。

そこまでして紛争を終結させようと思っていたのである。


ところが、


〉〉〉不拡大方針にもとづく日本側の和平への努力とは裏腹に

中国の世論はこの間、

どういうわけか過激さを増していく一方だった。

平和を求める声よりも

全面抗戦を訴える論調の方がますます強くなっていったのである。


毛沢東 煽る 


こんな風なビラを撒いて、煽っていたのだから、

どうしようもないですね・・・・


ほんとうに、彼等は鬼畜です!

「鬼畜」は日本では絶対にありません!


ヾ(。`Д´。)ノ酷い!


〉〉〉こうしたなか外国人軍事顧問の教唆を受けた蒋介石

8月13日上海の日本人租界に向けて

突然攻撃を開始した。

第二次上海事変の勃発である。


〉〉〉一連の動きから、

蒋介石が強固な開戦意志を持っていると判断した日本政府は、

それまでの不拡大方針を撤回。

8月15日「南京政府の反省と懲罰」のためとして

日本軍の上海派遣を決定した

http://propagandawar.info/why-ija-in-china/


こうして、支那事変(日中戦争)は始まりました・・・・

が、日本側は、戦争だとは思っていません。

でも、どんどん、深みに連れ込まれて行きました・・・・


〉〉〉さらに、ここでもうひとつ、指摘しておきたいことがある。

それは日本がこの支那事変の発生後、

和平交渉を何度も試みたという事実である。

しかもそれは

戦線が拡大した後でさえ複数回にわたって試みられている。

以下はそうした和平交渉の主なリストである。


1、現地停戦協定(松井-秦徳純協定)1937年7月11日


2、宮崎竜介和平工作 1937年7月19日


3、船津和平工作 1937年8月9日

  同日午前、大山大尉殺害事件が発生し中断

4、トラウトマン和平工作 1937年11月5日

5、汪兆銘和平工作 1939年〜1940年


6、桐工作 1939年〜1940年


これだけ、何度も、和平に持ち込もうと日本側がしていたのです。

しかし、中国側は、すべて拒否しました・・・・



〉〉〉日本軍の正式派兵と

激昂する国内世論を受けた蒋介石は徹底抗戦を表明。

8月22日、共産党軍を国民党軍に組み込み、

ともに一致抗日をはかることを正式に決定した。


〉〉〉ここに共産党の悲願であった第二次国共合作が、

ようやく実を結んだのである。

おそらく毛沢東は

してやったりとほくそえんだことであろう


〉〉〉その20年以上も後のことである。

1964年、訪中した日本社会党の委員長が、

過去の戦争への謝罪を述べたのに対し、毛沢東はこう答えた。

何も申し訳なく思うことはありません。

日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、

中国人民に権力を奪取させてくれました。

みなさんの皇軍なしには

われわれが権力を奪取することは不可能だったのです


〉〉〉また中国共産党が発行した

『初級事務戦士政治課本』というパンフレットには、

盧溝橋での発砲事件は党中央の指令を

劉少奇同志が実行に移したもの」と記されているという。

劉少奇 妻 

劉少奇と妻


なんと!

シナ事変の発端となる盧溝橋の発砲事件は、

毛沢東・共産党がわざわざ起こしたものだったのです・・・・


そして、

中国側は、開戦以来、負け戦続きだったのです。

しかし、どういうわけか中国は戦争をやめなかった。

むしろ強気で交渉に臨み、

なにやかや理屈をつけては一方的に交渉を打ち切るという

高飛車な態度をとり続けた。

中国は和平など望んでいなかったのです。

http://propagandawar.info/post-3226/


蒋介石と毛沢東、

彼等の後ろから支援する勢力があったのです。

それは・・・・


こんにちは。
お久しぶりです・・・

ポメラニアンモナでーす。

毎日、暑いですね!

IMG_1257 (2)

あれ?なんで長袖?
猛暑だよ、今年は!

IMG_1270.jpg 

(A゚∇゚)あれれ?

今度は、前足が江戸時代の長袴状態になってるし・・・
「殿中でござる!」・・・・


そうなんです、実は・・・・

モナは、10歳ころから左前足をペロペロ舐め始めて、
そのうち、毛が無くなり、
皮膚が真っ赤に見えるところまで、舐め崩しはじめました。

IMG_0304.jpg 

それで、包帯をして、舐めないようにしてきたのですが、

包帯も、うまーく、はずしてしまうのですね・・・・

包帯がないところを、今度は舐めて、
傷口が広がるという悪循環・・・

包帯を外したいから、ずらすために、舐めるというのもあったのでしょうが、

相談しに行った獣医さんで、
舐めると苦い塗り薬と、包帯だったので、
とにかく包帯巻いていたのですが、

その苦い薬塗ったって、なんのその・・・
気にしないで、舐める、
というか、舐めたいから苦くても舐める・・・・

靴下もはかせてみましたが、

足すべてをすっぽり包んでしまえるような、
ちょうどよい大きさの靴下は売ってないから、
履かせても、あっという間に、
あっちにひとつ、こっちにひとつと、脱ぎ散らかしてあって、

「靴下嫌いだもん、履いているのはやだもん、脱ぐもん!」

しょうがないので、エリザベスをつけて・・・

IMG_1223.jpg 

ま、これだと、絶対に舐められない!

 ( ᐛ )و グッ!

だけど、
本人、うっとうしいだろうな、と思いつつ、

背に腹は替えられない、と、しばらくつけていたのですが、

だんだん夏になってくるし・・・・

では!
舐められなくて、脱げないようにするには・・・

「(ーヘー;)え~と...

筒状のをふたつ作って、
それをつなげて、両足にはかせる・・・・

背中でつながっているから、脱げない・・・
そういうのを作ればいいんだ!

(•̀ᴗ•́)و ̑̑!ヨシッ!

ただ、飼い主に、それを作る技量がなくて、
ミシンもないし・・・・

うーむ (´-ω-`)困ッタ・・・

しょうがなくて、ネットで検索・・・
「犬、足舐め防止」とか、単語入れて画像を見てたら、

犬 足舐め防止 犬、足舐め防止1

「病気の犬猫のための洋服」を作っている
『みかんとりんごのお店』をみつけたのです。

そして、

「洋服にしてしまえば、脱げないから・・・
それに、袖を二つくっつけたのと、値段も同じ」
というアドバイスをいただいて、

作っていただいたのが、
ブルーと赤の上記の2枚のお洋服なのです。

手作りなのに、
お値段は、送料込みで3000円!

さすがお店出してるプロだけあって、
きれいな仕上がりでした。

まず、ブルーのを作っていただいて、

次に、もう少し、薄い生地で、作っていただいたのが、
赤い方です。

夏の薄い生地で、今度は縞ではなくて、
ピンクの優しい色ので、替え用にもう一枚!

次は、どんな生地がいいかなあ、なんて思ってたら・・・・

前足が、舐められなくなったモナは、
今度はなんと!

後ろ足をぺろーり、ぺろーり!

IMG_1282.jpg 

∑('◇'*)エーッ!?

しょうがない!
今度は、後ろ足も付けてもらって、作ってもらおう!

と、思ったら、
みかんとりんごのお店は、8月9日まで、夏期休暇中・・・・

なので、急遽、
暑いけど、コーデュロイのつなぎを着せて・・・

IMG_1290.jpg 

あーあ、着せられてしまった~、えへっ!

まあ、おうちの中は、エアコンで26度~27度なので、
大丈夫なのだけど・・・・

∈(*´◇`*)∋ふーっ!

ほんと、いろいろありますね 笑
☆^∇゜) ニパッ!!

2018年7月26日
オウム真理教の死刑確定者、残り6人の刑が執行されました。

なぜ、この時期に、という報道もありますが、

日本の法律では、
共犯者の刑が確定するまで、刑は執行されないということ、
そして、死刑の執行は、
「判決確定の日から6ヶ月以内」とのこと。

最後まで逃亡していた高橋克也が捕まって、
刑が確定したのが、2018年1月25日
なので、死刑の執行期限は2018年7月26日でした。
つまり、
今回の刑執行は、法律に則ってなされたものなのですね

それに、犯した罪の重さを考えたら、
法治国家の日本においては、当然の結末なのです・・・


オウム 幹部 

それにしても、
オウム真理教というカルト宗教にはまってしまって、
人生の最後を「刑死」という汚名で一生を終えなければならなかった彼等、

そんな彼等の多くが、
普通では手にできない医師免許を持ち、
また、優秀な頭脳の化学者や物理学者だったのです。

オウムに入信せずに、そのままの道を歩めば、
並以上の人生を送れたはずなのです・・・・

だのに、そこで道を踏み間違えてしまいました。
なぜに、という思いはぬぐいきれません。

その上、彼等は、高学歴というだけでなく、
悪の道には無縁なすごく善良な人たちでした・・・・

(*・・)(・・*)ソウソウ・・・
坂本堤弁護士一家殺害に関与した故・中川智正
高校時代は「嫌いな人間はいない」と言ってた人で、
明るく交友範囲も広く、
京都府立医科大学の大学祭では実行委員長を務め、
障害者のボランティアもしていた優しく正義感が強い青年でした。

故・広瀬健一も、
中学校時代、教師から
「級友の面倒見がよく、すばらしい生徒に出会えて幸せだった」
絶賛されたそうですし、
学費は奨学金を受けて、自分で工面し、
母親と一緒にメッキ工場でアルバイトする
親思いの青年だったそうです。

また、故・林泰男の死刑判決文には、
「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、
被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。
およそ師を誤まるほど不幸なことはなく、
この意味において、
被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」
とあって、林はサリンで人を殺めたけれども、
裁判官が異例中の異例の文を述べたくなるほどの人だったのです。


そして、犯してしまった罪に対しては、
たとえば、
坂本堤弁護士一家を殺害した故・岡﨑一明(宮前)は、
「教義を妄信し、過ちを犯した。
極刑で生涯を終えられたら本望」と手記に記していますし、

また、故・豊田亨は、
自分は拘置所から一歩も出てはいけない。
それが贖罪だ」と言って、
裁判所に出廷せず、拘置所での証人尋問をしていますし、

7月6日の麻原らの刑執行のあとには、身辺整理を始めて、
手元にあった現金を、今回の豪雨の被災者への義援金として全額寄付しているのです。

麻原の洗脳から解き放たれれば、
犯罪とは縁の無い人生を送ったであろう人たちばかりなのです。

そういう、みんなのお手本になるくらいの良い子が
なぜ、麻原のような詐欺師にひっかかったのでしょうか?

(*・_・)(*~^~)/??ナゼ?ナゼ?

精神病理学の高橋紳吾先生は、
高橋紳吾 

〉〉〉暴走族に入るような子はカルトに入らないんです。

とおっしゃいます。

〉〉〉それは自分が悪だとわかっていて、
こんなもんだというふうに身体性を持っていますから。

ところが、優等生は学校での勉強のものなので、
すべて頭の中で組み立てられる。

まさに「身体性」がない世界です。

(*゚.゚)ホ・(*゚。゚)ホーーッ!!

滝本弁護士サリン襲撃事件・東京都庁小包爆弾事件に関与して、
懲役15年の刑を受けた富永昌弘は、

「先が見えてしまう。死んでいくだけだ」
死を超えるにはどうしたらいいのか」
と思い悩んでいて、石川公一の勧めで、オウムに入信したそうですが、

彼は、灘高校時代には、
東大・京大などの最難関大学に挑む理系学生が読者の、
『大学への数学』での学力コンテストで三期連続一位を取り、
東大医学部にストレート合格しているのですが、

ちょっとおもしろい記事を見つけました。

〉〉〉「東大入試の、最後の科目が始まる前の休憩時間、

隣の隣の席にいた灘の同級生

『オレ、最後の科目0点でも合格やわ』と言ったら、

同級生は『スゴイなー。ま、オレもあと10点やけどな』と答えた。

オレらの間にいた他校のヤツは必死で参考書読んでたけど、

合格発表見たら、そいつはやっぱり落ちてた」


ヾ(~∇~;) コレコレ


〉〉〉ある灘高OBが朗らかに語る。

彼にとって、東大受験は

「朝起きて歯磨きをする」のと同じくらい簡単なことで、

「落ちる可能性はゼロ」だった。

ああ灘高よ、日本で一番勉強ができた子たちの『その後』
 大人になって思う、僕らは変人だろうか」2010/5/12

o(>▽<o)(o>▽<)o

オウムに入信したのは、1992年6月、医学科6年在学中。

これまで、勉強ができて、つまずくところがなく、
すべて順調に来てしまったがゆえに、
「先が見えて」しまったと感じたのかもしれません。

医学生は解剖実習がありますから、
余計に「死」が彼の中でクローズアップされたのだろうと思いますが、

その答えのない問いに悩んでいる人に
「その答えを教えてあげる」とささやいて近づいてくるのが、
カルト宗教なんですね・・・・


高橋紳吾先生はおっしゃいます、
カルト問題は先進国にしかない」と。

〉〉〉発展途上国のようなところでは生きていくのに精一杯だし、
経済的ゆとりもない、一様にものがない。
戦後のものがない時代は、
ものさえ手に入れられれば幸せになれるだろうとがんばってきた。

〉〉〉社会がシンプルな時代はカルト問題は起こらない。
だけど、現代の若者たちは身体は健康だし、ほしいものは何でも手に入る。
今は、生活苦とは無縁の時代になっている。

そして、
〉〉〉いろんなことが自由になりすぎて、
よく言えば価値観の多様化ですけども、
単なる悪しき個人主義になってしまった。

〉〉〉家族が崩れてしまっているわけです。
家族というものがだんだん崩壊していって、
核家族から単家族になった。
子供が引きこもって、パソコンやコンピューターゲームばっかりやってる。
おじいちゃん、おばあちゃんの話を聞かない。
僕たちの子供のころ、おじいちゃん、おばあちゃんに連れられてお寺に行ったもんですが、
そういうこともなくなった。

〉〉〉そうすると、命のつながりというものがなくなります。
命のつながりがなくなってくると、
自分しか目に入らない
他者が視線に入らない
ですから没体制的なんです。
これは非常に深刻な問題です。」


富永や石川公一が卒業した灘高校、
ここにはイジメがないのだそうです・・・・

なぜかと言うと、

〉〉〉基本的に他人のやることには「不干渉」を貫く
他人は他人、オレはオレ
従って、リーダーやマネジャーとしての資質に欠けている人間も多い。

だから、イジメはない・・・・

なるほど (*゚ェ゚))フムフム

だけど、真の友人はできない・・・

〉〉〉親密な仲間集団を求める欲求
すなわち親和欲求というものが満たされていない状態、
つまり孤独ですね、
孤独な若者がいて、ほんとに心を開いて語り合う場所だとかいうものがない。
そういう人にカルトは場を提供するということなんです。

人は「個」では生きられない、
弱い生き物だからこそ、助け合う・・・・

その心のよりどころとなるのが、「家族」であり、
仲間」であり、「共同体」なのだと思います。

それを壊すように、戦後の日本は歩まされてきました。

「個人主義」だけではダメなのです。

「人」は「個」では生きられないのですから。

経済優先、効率優先の社会になって、
結果、日本人みんな、自信がなくなってしまいました・・・

どのくらい優秀で、どれだけ社会に役立っているか、
という基準でしか計られないので、
なかなか、その自信は取り戻せなくなってしまった・・・

だから、歯車のひとつでしかない、と考えてしまう・・・

でも、そうではない、と、高橋さんはおっしゃいます。

お釈迦様は「天上天下唯我独尊」とおっしゃっている、と。


そのまんまで私はかけがえがないんだ」ということ。

このかけがえのなさ、何者も代わることができない私である、ということ。

それ以上に、大切なものはないのだ、とおっしゃっています。


そう思えることが「自尊心」であり、

今ある自分を肯定してあげる、ということが大事なのかもしれませんね。


そして、

〉〉〉そもそも輪廻転生ということが仏教の基本的な考えであるわけがなくて、
お釈迦様は死後の世界について無記
よく分からないと教えられています。
ですから、
現在の今を生き生きと生きる
これこそが仏教の神髄なんです。

そうお話された高橋紳吾先生は、
この講演の翌年2005年、52歳という若さでおなくなりになっておられます。

すべては、心の問題なのですね。

オウム真理教に取り込まれ、
麻原に洗脳されて犯罪を犯した彼等を調べていて、

そこには、戦後の日本が共同体を壊され、
大家族から核家族にされていくことで、
それまで人々が拠り所としたものが壊されてしまった、
そのひずみが
カルトにつけ込まれる最大要因だったのかもしれません。


今一度、立ち止まって考える問題は山積みのような気がします。



地下鉄サリン事件から23年、
坂本堤弁護士殺害事件からは、29年もの月日が流れて、
やっとカルトの詐欺師・麻原彰晃こと松本智津夫の処刑がなされました。

麻原 

それに伴い、6人の死刑確定者が処刑されましたが、

彼等が、麻原と同じ極悪非道な人間かと思いきや、
サリンの袋3袋を破き、
マスコミから「殺人マシーン」と言われた林泰男ですら、

〉〉〉オウム被害対策弁護団の滝本太郎弁護士に、
少しはずるかったり危ない人であって欲しかったのですが、
面会してみればいい青年なんです。
参ったです。」(wikipedia)
と言ってらっしゃるくらいなのです。

サリンパックは11個あって、その端数のひとつを、
〉〉〉林が犯行当時、
指示を断れない状況下にあるのを知っていた村井が
5人の中で最初に林に1つ多く持ってくれるかと頼み、
引き受けたものだった〉

今回、処刑された井上嘉浩が、林のことを、

〉〉〉「実行メンバーの中で
もっとも人間的で優しい人なのでいやがることを引き受けた」と語っている〉

とのこと・・・・

また、端本悟は、

〉〉〉オウム真理教に入信した高校時代の友人を脱会させるために
説得したり話し合ったり、友人の様子を見るためオウムのセミナーに参加したりしているうちに、
あっという間に麻原彰晃の説く四無量心・救済などの教えに感化され
同年(1988)7月にオウム真理教に入信〉

「もっとも人間的で優しい人」が
これほどの凶悪犯罪に手を染めさせてしまうオウム・麻原とは、一体・・・

脱会の説得にあたっていたのに、
あっという間に取り込む「カルト」とは、一体、どういうものなのでしょうか・・・

サリン事件のあと、テレビにも解説者として出ておられた、
精神病理学の精神科医師であられる高橋紳吾先生の講演で
詳細に語られているので、ご紹介したいと思います。

ほんとうに、
なぜ、こんなむさ苦しい詐欺師にひっかっかったのか?

それは、カルト宗教によるマインド・コントロールなのだそうです。

マインド・コントロールとは、
〉〉〉いくつかの心理的な技法を効果的に積み重ねて、
相手をこちらの都合どおりにあやつり、説得する技術です。
自分が洗脳されている意識のないままになされるということがあります。
抵抗感が少ないままにされる洗脳のテクニックということで、
受ける側はむしろ自発的に修行とか学習、訓練を受けている
というふうに錯覚するように仕組まれています

マインド・コントロールされてしまうと、

水中に長く潜っている修行も、
たった15秒で飛び出してくるくらい気が小さい麻原彰晃

京都府立医大卒の医師だった中川智正にとって、
絶対的なもの。
人間ではなく化け物のようだと思っていた。
殺されるより怖い存在だった」

ヘ(ΘΘ)ヘ
~~^m川゜Д川m~~~~エエエー

だから、
村井秀夫からサリン製造を指示されたとき、
麻原の意向だから「絶対にやらないといけないと思った」

これがマインド・コントロールなのです。

マインドコントロールのやり方は、

〉〉〉一番目がアプローチです。
新人を勧誘するのをアプローチと言います。
家族や知人などを誘う場合と、
路上で未知の人にイベントのビラとか本などを配ったり、
アンケート調査や手相、占いなどを使って接触する場合とがあります。
家族や知人の場合、いやがる人にも
「とにかく集会に出てみないか」とか、
「ビデオを見てみないか」と言って誘います。
「いいか悪いかは試してから判断すればいい」と言うんですね。
これはセールスマンが
「ともかく商品を見てください」と言うのと同じで、
話を聞いているうちに、いつの間にかその商品を買わされていたということがあります。
人間というのは、小さなOKを出すと、
大きなOKにうなずいちゃう。
小さな承諾を一度してしまうと、大きな承諾を次々してしまうという、
一貫性の原理というのを持っていますから、
一度OKしちゃうと、その次は断れないということがあります。
人はささいな承諾から大きな承諾へと向かうということですね。

〉〉〉それから知り合いの場合だったら、
その個人にまつわる情報をすでに教団が入手して、
まるで見すかされているかのように利用されたりすることがあります。

⇒この手を使われたのが、今回死刑執行された中川智正さん
オウム真理教の音楽コンサートに出かけて、
麻原に会うのは初めてだったのに、
麻原に後ろからいきなり「中川」と声をかけられて、驚いたとのこと。

「教団の教祖が自分の名前を知っていて、呼ばれた」
そう思うだけで、
中川さんを教団に惹きつけるのに、充分だったでしょうね。
なにせ、「あなたは特別な人です」と言われたわけですから。

京都府立医科大を卒業して医師になるはずの中川氏は、
接触してきた当初からオームの勧誘ターゲットだったのですね。

さて、

〉〉〉駅前や大学で声をかけられた若者たちは、
近くにあるセンターとか道場に連れてこられるわけです。
そこで多くの信者たちから非常にほめられるんですね。
持ち上げられる。
「好青年ですね」「すてきですね」とか「タレントの○○さんに似てますね」とか言われる。
また「あなたの手相は何万人に一人しかいない。エリートだ」というふうに言われる。
これを統一教会では「讃美のシャワー」と言います。
ほめたたえるということですね。
人は自分に好意を持ってくれる者に対して親近感を抱く
という条件付けをねらったものです。
ほめられると人間はついおだてに乗ることがよくあって、
ほめてくれる人のことを好きになってしまうわけです。

麻原の愛人で、教団内で女帝と言われた石井久子さんは、
小さいころから、勉強も運動もできたのですが、
女だから、という理由で大学進学させてもらえなかったとのこと。

自分の能力を正しく認めてもらえてないという鬱積を抱えていた石井さんにとって、
あなたは有能だ、あなたは美人だ、という褒め言葉は、
ここは、自分を正当に評価してくれる場所だ、
ここにいれば幸せでいられる、と、思い込んでしまったのではないかと思います。

だから、自分の良さを発揮して、
オウムの宣伝ポスターのモデルになりたがるなど、
積極的だったのではないかな、と、思います。

その石井さん、
若いときの麻原を、「中性的な人だった」と言ったそうですが、

麻原 1990年 

なるほど、やさしい感じですね・・・

麻原は、魚座生まれなので、
人との当たりはとてもやわらかですね。

それに、生まれた時間が山羊座なので、
軽く動くことがなく、落ち着いた感じに見えたでしょう。

ですが、月が双子座なので、
話をすると、言葉が巧みで、
相手を引き込むことができたのでしょう・・・・

こうやって、褒めて、幸福感にひたらせておいて、
次には、恐怖感の植え付けをしていきます・・・・


〉〉〉ほめられるという讃美のシャワーと、
恐怖感の植え付けが対照となって、
新しく入った人はびっくりするわけです。
しかも、
「これは偶然じゃなくて神の摂理だ」みたいなことや、
「こういうチャンスはめったにないから、
今すぐ決断して、我々の仲間になりませんか」ということを強調する。
これを希少性の論理といいまして、
少ないチャンスだから、今こそ大事にしなければいけないと教え
無理矢理引き込んでしまうわけです。

(゚▽゚)(。_。)ナルホド・・・コワイ・・・

〉〉〉それから二番目として、
動機付け(モチベーション)と記憶です。

〉〉〉統一教会の場合はビデオを見せます。
それから擬似的な至上体験をさせます。
オウム真理教の場合だと、
ヨーガによく似た呼吸法をするとか、瞑想をするとかさせます。

〉〉〉記憶というのは、
ただただ教義の埋め込みが行われ、記憶させます。
この段階では参加者のほとんどは理解できません。
教義は無茶苦茶で難解ですから。
だけど、断片的な知識だけが次々頭の中に埋められてくるわけです。
「疑問は勉強していくうちにわかってくる」とかですね、
「理解できないうちは親にも誰にも言っちゃダメだよ」と言ったりします。
秘密保持を約束されるわけです。
こうして自分が獲得しつつある信念を吟味する機会を奪われます

〉〉〉そういうことによって、
次の第三ステップの合宿へと向かわせるわけです。
そのために動機付けとか記憶の埋め込みということを行うんですね。
こうしてより本格的な合宿へと誘い込んでいくわけです。
これを解体と凍結と言います。
ここからは洗脳と同じことが起こってきます。


〉〉〉マインド・コントロールによって
アプローチから動機付けと記憶までが行われ、
動機付けを高めて、三番目の合宿、
つまり離れたところに連れ込んでいって、教え込みが始まることになります。

〉〉〉基本的には宿泊施設に数日間連れて行かれて集中講義を受けるとか、
瞑想や集団的に祈祷することなどによって、
狭い意味での洗脳状態へと導くわけです。

〉〉〉修行のため断食するとか、睡眠を短くすとかいうことが勧められて、
飢餓状態に陥ってしまうんですね。
生理的剥奪状況と言いますけれども、
そうなると暗示性が非常に高まります
食べないとか眠らないとかいうことを何日も続けていくと、
精神的におかしくなっちゃうことがあるわけです。
これが修行の基本です。

〉〉〉マインド・コントロールの場合は
自分で選んで修行してるから、
平気で眠らない、食事もとらない
それによって暗示性が高まるわけです。

〉〉〉オウム真理教では五体投地といって、
地べたに伏せって起きあがってという礼拝の方法を、
一日三回、一回八時間、
つまり二十四時間ずっと行って、それを一週間続けさせます。

えええー!

〉〉〉それでどうなるかというと、
離人感、自分が自分でないという感覚や、
自分が誰かに操られている感覚が出てくる。
あるいは、まるで法悦体験のような、
麻原がすぐそばに来て話しているような感覚がしたり、
光り輝くものが見えたりする。
こういうのを神秘体験といいます。

〉〉〉人間の脳は飢餓状態に陥ると、
しばしばそういう幻覚とか錯覚を見るもんですから、
それを利用しているんですね。
そういう神秘体験を得てしまうと、
これこそが我々の求めていたものだと思い込んで、
若者たちは簡単にはまってしまう

〉〉〉しかも、今まで教えられて記憶していた、
世界は破滅に向かっているとか、
日本の政治は間違っているんだとか、世界は汚れている、
ところが自分の教団だけは正しいんだという教え込みが、ここでさらに強烈になされます。
断片的な記憶だったものが、
教祖の言ってることだけが正しくて、
他が自分たちに対して弾圧を加えているんだというふうに思い込むようになる。

〉〉〉こうしてかちっとしたカルト人格ができあがってしまうんです。
ここまで来ちゃうと完璧に洗脳されたということです。

〉〉〉ところが、こういう脳内の不思議な出来事というのは、
その場から離れると、次第に夢から覚めていくように、
だんだん軽くなっていくということがあります。
そこで、第四段階として、維持、強化ということをします。
数日間の合宿から帰ったあと、何か行動を起こさせるんです。

〉〉〉たとえば霊感商法をやらせる。
本当は数千円の価値しかない壺を、これは何十万円もの値打ちがあるんですよと売り込む。
メンバーは何千円の価値しかないものだとは知りませんけども、
そういうものを売り込むことによって、
実は統一教会というのは素晴らしいんだという思いを新たにする。
人間というのは行動することによって、
信念が強固になるということがあって、
そういう活動をさせるわけです。

〉〉〉さらには多額のお布施をさせる。
たとえばビニールのバッグを例にすると、
三千円で買ったバッグと、三十万円で買ったバッグ、どっちを大事にするかというと、
三十万円で買ったバッグのほうを大事にしますよね。
素材は大して変わんないんですよ。ブランドものといいながら。
同じように、お布施をたくさんするほど値打ちがあるように思ってしまう。
そして、多額の献金をするために家を売ったりするもんだから、帰るところがなくなる。
多額の経済活動をすることによって、戻るところをなくしてしまうわけです。

〉〉〉さらには、新しい人を誘うという新規勧誘の義務があります。
自分の信念が不確かであっても、人を勧誘することで、
ますますその信念を強めていってしまうわけです。
そういう活動をすることによって、
無限連鎖講(ネズミ講)的に信者がどうしても増えてくるという形になってきます。

〉〉〉こういうことを知っていれば、
アプローチの段階で断れるんですよ。
路上で「手相を見てあげましょう」とか、
「こういうアンケート調査をしているんですが」ということに答えなければ追ってきません。
けれども、真面目な人はそういうのを断れなくて、
ついはまってしまい、後々まで追いかけられるわけです。

「なぜ生きているのか?若者がカルトに入信する理由」
(2004年4月8日に広島市東区民文化センターで行われました安芸南組同朋大会でのお話をまとめたものです) 

今回処刑された土谷正実さんは、
〉〉〉関係者が土谷のアパートを訪れると、
冷蔵庫には米と味噌だけ。
室内はオウムグッズで溢れ、布施のために購入した宝くじが数十枚、
預金通帳の残高は僅か10円だった

〉〉〉「借金に追い回されている。オウムに借りている。
色々な人を騙して借金しまくっている。
自分を偽装し自分を信頼させて入信させる。
上から何人入信させろと命令され、
棒で叩いて脅される
無免許運転、交通事故→睡眠時間が少ない

カルトの維持・強化ですね。

オウムにも借金があって、アルバイトに追われて、
睡眠時間も削るしかない、
そうすると、ますます神秘体験が増えていく、
という悪循環・・・・

土谷さんを、脱会させるために親御さんが、
茨城県の厚生施設「仏祥院」に閉じ込めて、
教団の教義の矛盾を説きますが、

この場所をかぎつけたオウムが、
中傷ビラを撒いたり、
街宣車5台で拡声器を使って騒ぎ立てたりして、
土谷さんを取り戻しにきます。

そして、
結局、土谷本人が隙を突いて、オウムに逃げ帰ってしまったのです。

(-_\) (/_-)ドウシヨウモナイネ・・・・

カルト宗教の怖いのは、
詐欺だと思わずに、自分からその集団に入ってしまい、
その信じ込みから抜けられなくなってしまうことなのですね・・・・

井上嘉浩さんも、

〉〉〉19歳のとき教団で禁じられている恋愛を行ってしまい、
8月の炎天下にコンテナ内で
4日間の断水断食を命じられ、死にかけていますし、

〉〉〉20歳のときには瞑想修行中に「眠っている」としつこく注意され、
「私は起きている」と反論すると、麻原から
「どこまで歪んだ根性をしてやがるんだ。このバカたれが!」と言われ
カーボン製の竹刀で50回ほど打擲され、
2週間ほど記憶が無くなっています

が、脱会していません。

そして、麻原の悪事に荷担して、
殺人に手を貸して、逮捕され、死刑判決を受けて、
今回処刑されてしまいました・・・・

本当に悩ましいことですね・・・
なんとかならないものなのでしょうかね・・・
また、考えてみたいと思います・・・

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