プロ野球のシーズンになりましたが、
今、世界中で大フィーバー、
投手と打者、どちらも超一流、
イチロー選手も驚きの二刀流
メジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手

大谷翔平 ばっと 

身長・193㎝、体重92キロという
日本人離れした体格から投げ出されるボールの速さは、
プロ入り前に、160km/h、
現在は更新されて、びっくりの、165km/hで、
NPB(日本プロ野球)最速投球記録保持者です。

それだけでなく、2014年には、
NPB史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」(11勝、10本塁打)を達成。
翌2015年には最優秀防御率、最多勝利、最高勝率の投手三冠を獲得。
翌2016年には、NPB史上初の「2桁勝利・100安打・20本塁打」を達成。
投打両方で主力として日本ハムのリーグ優勝と日本一に貢献し、
NPB史上初となる投手と指名打者の2部門でのベストナインの選出に加え、
リーグMVPに選出されました。

オオーw(*゚o゚*)w

すごい!すばらしい!

2017年の終わりには、ロサンゼルス・エンゼルスに移籍。

大谷翔平 投手・打者 

2018年3月29日、開幕戦でメジャーリーグ初打席初球初安打、
4月1日、メジャーリーグ初登板初勝利、
4月3日、本拠地初戦で指名打者として出場し、第1打席でメジャーリーグ初本塁打を放った。
勝利投手が2日以内に打者として出場した試合の初回に、本塁打を記録したのは
1921年6月13、14日のベーブ・ルース以来、実に97年ぶりの快挙である。
さらに2018年4月4日には2試合連続となる同点2ランホームランを放ち、
4月6日の第1打席で、3試合連続となる第3号ホームランを放った。
日本人メジャーリーガーによる3試合連続ホームランは、
2004年9月(2年目)と2007年7月に記録した松井秀喜以来2人目であり、
1年目で、しかも4月に達成は日本人選手史上初
メジャー史上では4人目の快挙。
投手としては、1930年のベーブルース以来88年ぶりの偉業となった。
また、打点が公式記録となって以降で、
本塁打と2打点を本拠地開幕戦から3試合続けたのは、ア・リーグでは初めてである

スゴイ!(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ


【大谷が足でも投手最速を更新 三塁ベース到着で歴代最速】 
◇ア・リーグ エンゼルス7―1ロイヤルズ(2018年4月12日 カンザスシティー)
エンゼルス・大谷は初三塁打
三塁ベース(距離約82.2メートル)に11秒49で到達
スタットキャストが導入された15年以降、
投手で最も速かったのはペルドモ(パドレス)の11秒52で、それを上回った。
三塁打の最高速度は時速約31キロ(秒速28.3フィート)。
4日のインディアンス戦で二ゴロに倒れた際には
時速約32.7キロ(秒速29.8フィート)をマークしていた。

デビューから野手出場7試合で11打点に到達し、
過去のア・リーグでそれを上回ったのは、
1929年のデール・アレクサンダー(タイガース)の14打点と、
1977年のミッチェル・ペイジ(アスレチックス)の13打点の2人だけ。



【三塁打の大谷 足も速かった メジャー平均、大きく上回る】
エンゼルスの大谷翔平投手(23)が4月12日(日本時間13日)、
ロイヤルズ戦に「8番・DH」で出場し、
7回に走者一掃となるメジャーで自身初の三塁打を放った。
動作解析システム「スタットキャスト」によると、
走塁の最高速度はメジャー平均を大きく上回る時速31キロをマーク。
「投打」はもちろん
「走」でも高い能力を見せつけ、チームの5連勝に大きく貢献した。

打った瞬間、大谷の心は決まっていた。
3-0の7回2死満塁で中継ぎ右腕マウアーの
97マイル(約156キロ)直球を強振
打球が右中間を破ると、
大きなストライドで二塁を蹴り三塁に悠々と滑り込んだ。
「外野手も前にいたので(打球が右中間を)抜けて
三塁までいけるだろうなと思った」
ダメ押しの走者一掃三塁打。
投打に注目は集まるが、走っても速い。
(中略)
花巻東時代の50メートルは6秒4。
決して俊足ではなかったが、16年オフには
「年々、単純に足は速くなっている。
球速以上に速くなっている自覚がある」と口にした。
日本ハム時代には盗塁王に2度輝いた同僚・西川に匹敵する
3.8秒で一塁まで駆け抜けていた。

4/14(土) 6:00配信  

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180414-00000066-spnannex-base   


(ノ゚ω゚)ノ*.オオォォォォォォォー

すごい、ただただ、すごい、すごい!!!


あまりにすごくて、

目と口が開いたままになりそうなんですけど・・・・

(ノ゚ο゚)ノ

 

この大谷選手の凄い力、才能は一体、どこから来るのでしょうか・・・・


その秘密は、大谷選手の命式にありました。


大谷翔平 1994年7月5日 

  

  

        鳳閣星 天南星

車騎星 司禄星 車騎星

天庫星 龍高星 天報星


大谷選手の日干の「」は、大海

そして、日支の

」は、大量の水がたまっている倉庫です。


この「」という大海に、

」という水の倉庫から流れ出す水が、納まっていく、

それが、大谷選手の日干支

」(じんすいのたつ)


その流れはつきることがなく、

源泉は遙かに長く豊かなのだそうです。


そして、「」は「」です。

「龍」は、空想上の生き物で、現実の生き物ではありません。

十二支中、「辰」だけが、架空の生き物で、

現実ではなく、虚構のもの、つまり、「」です。


」であるがゆえに、

普通の人にできないことができてしまう


つまり、

大きな力・才能を秘めているのが、「壬辰」です。


ただし、

この水庫を壊して、庫から水を流れ出させなければ、

「辰」が持っている大きな力・才能を引き出すことができません。


大谷選手は、年支が「」なので、

「辰戌」の冲動で、「辰」の水庫が壊されて、

「辰」の中に閉じ込められていた

「大きな力・才能」が発揮されることになりました。


「辰」の中の、秘められた力を持つ「水」は、

「壬」という大海に、どんどん、流れ出すことになりました・・・・


そのうえ、

「辰」の水の庫に、

水を供給する水源「が月干にあります。


「水」は、流れて、初めて、力を発揮できます。

流れない水は、淀んで停滞するので、その力を発揮できません。


ですが、大谷選手は、

水の流れ先である「も、年干に持っています。

そう、大谷選手の水は、淀まず、常に流れることができるのです。



そうなんです!


大谷選手のすばらしい投手として、打者として、外野手としての才能は、

」の水庫の扉が「」で開けられて、

」の大海に流れ出るのですが、

その水庫には、「」から、水が次から次へと供給され、

その流れ出る道筋は、「」で確保されているので、

その才能は、枯渇することなく、溢れ出てくることができる、


そのうえ、

」の半会で、活躍の場がひろがり、人との連携も取れる・・・・


そう!大谷選手は、


成功するのに必要なもの全てを

兼ね備えて生まれてきていたのです。


\( ~∇~)/ エーーーッ!!ビックリ!!!


だから、これだけの、

史上初の記録を塗り替える活躍ができているのです。


もちろん、

大谷選手の努力のたまものであることは、確かです。


だけど、成功というのは、

努力だけではつかみ取れるものではないことも、

確かな事実ですね・・・・


これは、大谷選手が高校一年生の時に立てた目標達成表ですが、


大谷翔平 目標達成シート 


そのひとつに、「」をつかむための目標欄がありますね。





この動画で、お父さんの徹さんがおっしゃってましたが、


「教えたことがすぐにできる(子供で)

これこうだよ、ああだよ、って言って、すぐできちゃう子」だったそうです。

(23分~)


「一年で二年分ずつ成長していったんですよね、

「年明けると、すごいな、年明けるとすごいな、ってくらい成長していった」


中学一年生の時の東北大会で、

アウトを18人中17人を三振で取る驚きのピッチング

初回から3回までは、9連続三振!

そのリトルリーグ時代の捕手の佐々木遼輔さんは、

「(自分は)キャッチャーだったからよかったけど、

バッターだったら、打てないだろうな、って思いながら受けてました」

(24分~)


このリトルリーグ時代に、本塁打22本を大きく上回る35本を放つ。


小学5年生で、二年上の中学一年生の先輩に、守備位置を指示していた、

相手の打者がその前の打席で、どんなボールを打ったか、

全部頭にはいってましたよね」

リトル時代の指導者談(25分48秒)


そして、謙虚な姿勢

「同級生の子とはどんどん力が開いていったんですけど、

翔平は天狗になることは一回もなかったですからね、

それだけはやはり、褒めてやりたかったですよねー」

リトル時代の指導者談(26分~)


(。-ω-。)ヾ(・ω・*) エライ!!


こういう謙虚さが、運気を自分のものにできた要因なのでしょうね。


それに、こういう教えができるのは、

やはり、ご両親も立派なのだろうな、って、思いますね。


そうなのですが、


これだけのすばらしい命式で生まれた大谷選手であっても、

これまでが、

すべて、順風満帆ではありませんでした。


(上記動画15分~)

高校2年の春には、151㎞/hに到達していましたが、

7月には左股関節を痛めてしまいます(骨端線損傷)。

甲子園のマウンドには立ちますが、一回戦で帝京に敗れます。


悔しくて泣いている翔平君がいますね

(16分52秒)


翌年の春の甲子園も出場しますが、

大阪桐蔭高校に、11四死球で9失点と大敗。

夏の甲子園には、最後の決勝戦で敗れて出場はなりませんでしたが、

アマチュア野球史上初の160㎞/hの投球をします。


大谷選手の日干支の

「辰」の秘められた大きな力・才能を発揮させるためには、

現実でも、がたがたしていたほうがいいのです。


その上、腹にある天庫星は、

非常に粘り強く、パワーがある星です。


あきらめない強さがあります。


さて、

これからの大谷選手の運気は、「天報星

読んで字の通り、

どんなことが待ち受けているかは天のみが知る運気です。


順風満帆ではないと思います。


山あり、谷あり、

でも、その動乱の人生が、

また、大谷選手の才能を開花させていくのかもしれません。


大谷選手!

今回、この記事を書いていて、即、

私も、大谷選手の大ファンになりました。


"ヾ(゚▽゚*)>フレー!!フレー!!<(*゚▽゚)ツ"


今日は大谷選手の東洋占星学に関してしか書けませんでしたので、

また、書きたいと思います。

では!


『フジコ・ヘミングの時間』の映画がこの初夏に公開されると聞いて、

久しぶりに、フジコさんの「ラ・カンパネラ」を聞いてみました。



心に響いてくるフジ子さんの演奏。

その音色に本当に引き込まれますし、
主題の音がしっかりと常に響く演奏をされています。
だから、初めてその曲を聞く人でも、
曲の主題がどこにあるかがわかって、安心して聞いていられるのです。

そして、その音色は、
悩んでいたことだって、今はどうでもいいや、という気分にさせられます。

そんな、心が洗われるような演奏。
魂のピアニスト、と呼ばれるゆえんですね。

今、85歳という高齢であられながら、
この4月は、オーストリアでコンサートをやり、
5月5日からは、ジャパン・ツアーで、日本全国飛び回り、
7月までスケジュールがはいっておられます。

もう、凄い!
そして、すばらしい!の一言ですね。


フジコ・ヘミング 1932年12月5日 ベルリン生まれ
  壬
  申
       鳳閣星 天禄星
調舒星  鳳閣星 貫索星
天極星      石門星     天胡星

フジコ1g 

イングリット・フジコさんは、
ピアニストの大月投網子さんと、スウェーデン人の父親との間に
ベルリンで生まれ、5歳で帰国。
しかし、一緒に帰国した父は、開戦間近の日本を離れ、
東京で母ひとりに育てられる。

6歳のころから母親の手ほどきでピアノを習い始め、
小学校3年生(9歳)の時にNHKラジオに最年少で出演し、
ピアノの生演奏をして、天才少女として頭角を現したそうです。

6歳でピアノを始めて、9歳でラジオで生演奏・・・・

たった3年間で、
天才少女と騒がれるまでのピアノが弾けるようになる・・・・

さすが、東京音大(東京芸術大学)卒のピアニストの娘とはいえ、
とはいえ、すごいですね・・・・

フジコさんの命式にある
庚子」と「辛亥」はともに、異常干支です。

やはり、何か、人とは違うものを持って生まれた方なのですね。


〉〉〉2時間ほどのレッスンが日に何回も繰り返され
しかもそれは、大人同様の内容を持つ、厳しいスパルタ式のものでした。
外で遊びたくても駄目、
トイレに逃げ込んでも引っ張り出されて練習…。
そして、母は決して、フジコ・ヘミングを褒めることはなかったといいます。

「ピアノ漬け」という言葉通りの3年間だったのですね。

こんな半強制的な、
それもスパルタレッスンによくついていった、と、思います。

いくら親ががんばっても、
本人が嫌で、習おうという気持ちがなかったら、
ピアノの前に座らされたって、指、動かしませんから・・・

(^w^)ヤラナイヨ・・・

ですが・・・・



夜8時に子供のフジコさんが布団にはいると、
ピアニストであった母親の投網子さんは
毎日、この時間からピアノを弾き始めたそうですね。

そのピアノを聞きながら、フジコさんは、
「なんて素敵なんだろう」と思っていたそうです。
(30秒~)

このときの感動が、
フジコさんも、母親が弾く素敵な音色を、自分も奏でてみたい、
という気持ちになっていたのでしょうか、

それが、
母親の半強制的レッスンにもついていく原動力となったであろうことは、
想像に難くないですね・・・・

それで、フジコさんの陽占ですが、

初年のエネルギー値は、天禄星です。

無限大のエネルギー値の天将星に次ぐエネルギー値11天禄星

これが初年にあると、
親(大人)の期待に応えられる子供になります。
これだけのエネルギー値があると、
大人が何をしてほしいか、何を望んでいるのかが、わかるし、
その要求に添って動くことができるのです。

だから、フジコさんも、
大人同様の、スパルタ式ピアノレッスンにもついていくことができたのだと思います。

それに、頭のところ(親)の星は、
フジ子さんの主星の星と同じ鳳閣星です。

主星と頭の星が同じということは、
すなわち、
自分と親は同じという意識を持ちやすいのです。

鳳閣星は、表現の星です。

ピアノという楽器で、曲の思いを表現をするのが、ピアニストです。

表現の星・鳳閣星を主星にもつフジ子さんが、
母親と同じ、ピアニストという
表現者の道を歩もうとしたのは道理かな、と思います。

そのうえ、フジコさんの陽占は、
この鳳閣星が2つに、
同じ表現の星の調舒星もあって、
合計3つが、表現の星になっています。

だから、
強制的、そしてスパルタレッスンであっても、
反発せずに、母親のレッスンについて行ったのだろうと思います。

もちろん、遊びたい盛りの子供だったフジコさん、
「これで子供のころ、いやいやながら勉強したわ」とおっしゃってますね
(上の動画10秒~)


そして、母の投網子さんが、
なぜ、ここまで、執拗に娘・フジコにピアノのレッスンをやらせたか、というと、

「赤ん坊のころに、ピアノによじ登って弾いてるときのその音が
なんともいえないいい音だから、
この子にピアノをやらせたら、いい音で弾くだろうと思ってやらせた」
とのこと・・・・

やはり、天性のものは持っておられたのですね・・・・


さて、9歳で「天才少女」と騒がれたフジ子さん、

10歳から、父の友人であり、
母がドイツ留学時にピアノを師事したロシア生まれのドイツ系ピアニスト、
レオニード・クロイツァーにピアノを習い、
以後、芸大在学時を含め、長年の間クロイツァーの薫陶を受けていきます。

そして、
青山学院高等部在学中の17才でコンサート・デビューを果たします。

東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中には
毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。
同学校卒業から本格的な演奏活動に入り、
渡辺暁雄指揮:日本フィルなど数多くの国内オーケストラと共演。
たまたま来日中のサンソン・フランソワは
日比谷でのフジ子のショパン、リストの演奏を聴き絶賛したそうです。

国内でこれだけ活躍していたフジ子さん、
ドイツへの留学を試みますが、

一度もスウェーデンの地を踏んでいないフジ子さんは、
18歳でスウェーデン国籍を抹消されて、無国籍状態・・・・

しかし、避難民として30才でドイツ留学を果たすことになります。

〉〉〉ベルリン国立音楽学校を優秀な成績で卒業してからは
ヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。
ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ・スコダに師事。
この間、
“リストとショパンを弾くために生まれてきたピアニスト”と称される。

20世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる
ブルーノ・マデルナにウィーンでその才能を認められて、
彼のソリストとして契約したことは、フジ子が最も誇りにしていることのひとつである。
ちなみにこの契約に際しては、
フジ子の演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタインからの支持と援助があった。
ヨーロッパ各地での演奏会、オーケストラとの共演の模様は
日本をはじめオーストリア、ドイツ、スウェーデン等のテレビで放送された。

すごいですよね~

ですけど、異国の地でひとり。

菅野美穂主演のドラマにも描かれていましたが、
苦労も相当にあったのだろうと思います・・・・

ここまでの、フジコさんの大運を見てみますと、

10歳から、独立・自立の星貫索星が回り。
20歳からは、天将星がきています。
ドイツへの留学は、この天将星が後押ししたのでしょうね。



〉〉〉順調な人生を狂わせる不幸がフジ子を襲う。
リサイタル直前に風邪が原因で両耳が全く聞こえなくなり
その後の演奏会はすべてキャンセルを余儀なくされ、
次第に音楽界から忘れ去られていった。

フジコさんの命式は、水性が忌神なのですが、
年干に「水」が透干し、忌神
日支の「」が癸水で、忌神
また、この「子」と年支の「」とで、申も水性となり、忌神
月支の「」も本元が「壬」で水性、忌神

守護神は、月支の「亥」の中の「甲」だけという、
かなり大変な命式をお持ちなのです。

初年の天禄星に続き、20歳からは、天胡星で、
エネルギー値が11から4にまで下がります

このエネルギー値の落差が、
フジコさんの登り調子のときに、
聞こえていた右耳も、全く聞こえないというアクシデントになって、
せっかくのチャンスを逃すことになってしまいます・・・・

本当に、きびしいですね・・・・

耳は、35歳から2年間ほど全く聞こえなかったそうですね。

両耳が聞こえなくなってしまったあと、
国籍の回復もあって、スウェーデンに行き、
ここで、耳の治療をし、音楽学校の教師の資格を取り、

40歳以降は、ヨーロッパ各地で、コンサート活動を続けて来られたようですね。

フジコさんの大運は、
40歳から、やっと守護神がまわり始めて、現在に至っています。

1995年 62歳で日本に帰ってきたフジコさん、

〉〉〉教会で拾ったカードには
「遅くなっても待っておれ、それは必ず訪れる」と書かれていた。

とのこと・・・・


〉〉〉1995年、母親の死去を機に30年余りの外国生活に終止符を打ち、帰国。
「もう人前で弾くことはない」と決意していたが、
平凡なピアノ教師の生活に甘んじることができずに
「人生をもう一度取り戻したい」という意欲がわく。
1998年4月、再起の舞台に母校の芸大の旧ホール(上野奏楽堂)を選んだ。
10月に続き、1999年4月に奏楽堂での公演を行っている。

1999年2月11日にはフジ子のピアニストとしての軌跡を描いた
NHKのドキュメント番組、ETV特集
「フジ子~あるピアニストの軌跡~」が放映され大反響を巻き起こした。
「フジ子の演奏をもう一度聴きたい」という高校生から80才以上の1,000を超える視聴者の要望に応え、
3月2日、4月9日と急きょ異例の再放送が決定した。
その後、同年8月23日、2001年2月12日とこれまでに5回オン・エアされた。

1999年8月4日には4回目の奏楽堂でのリサイタル、
8月25日にはデビューCD「奇蹟のカンパネラ」を発売。

「奇蹟のカンパネラ」は日本ゴールドディスク大賞 
クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
その後、2000年4月に発売したライヴCD「永久(とわ)への響き」は18万枚、
同年8月に発売した「憂愁のノクターン」は33万枚と
クラシックとしては異例の大ヒットを記録した。

「奇蹟のカンパネラ」は、これまでに200万枚以上の売り上げを記録しているそうですね。

本当にすごいですよね。

最後に、
この動画には、子供の時、若い時のフジコさんの写真が出ているので、
挙げておきたいと思います。




そして、


(3分20秒~)
「私が世界で一番うまいって、思っているんじゃなくて、
私は自分のカンパネラが一番気に入ってて、
他の人の弾き方、嫌いなのよ。
鐘(カンパネラ)は最も技巧を尽くして作った鐘
ひとつひとつに魂がはいっているようにさ
ぶっ壊れそうなカンパネラ、あっていいじゃない
私はぶっ壊れそうな、繊細なピアニスト・芸術家のほうが好きだもの
あまり完全で機械みたいなの嫌い
少しは間違っててもかまやしない
機械じゃあるまいしさ」

この「私は私、別にいいじゃない」と言える強さは、

日干が、自分を変えない「庚金」で、
火の星座である射手座を太陽にもつ、
フジコさんならでは、と、私は思います。

どうぞ、これからも長生きされて、
人々の心に響く演奏を、聞かせてください。

平昌オリンピック、スピードスケート500メートルで
オリンピック新記録36秒台をたたき出して、金メダル
1000メートルでは銀メダルと、
二つのメダルに輝いた小平奈緒選手

 小平奈緒 日の丸

〉〉〉「アスリートとして自分自身を表現する言葉を3つ教えてほしい」。

スピードスケート日本女子初の金メダルに輝いた

500メートルのレースから一夜明けた19日の記者会見。

外国人記者の質問に、小平奈緒(相沢病院)はじっくりと考えてから、こう述べた。

「求道者、情熱、真摯」

そのどれもが31歳のスケート人生を言い表している。

小平はスケートの求道者そのものだ。


究極の滑り

自分の限界を破るスケーティング

小平は他者にはうかがい知ることができない高みを追い求めてきた。

「どんどん面白いことが出てくるので、どこが満タンかわからない。

理想の滑りを身につけたときには、もう一つ上の理想の滑りが見えるような」


小平に滑りの感覚を具体的に訪ねても、

言葉にすると、それに捕らわれてしまうので」と断られることもしばしば。

自ら信じた道を歩み、自分の世界観を持つ。

「世界一の練習をやっている」との自負もあった。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27093450Z10C18A2UU1000/?pye=1



小平奈緒選手 1986年5月26日 長野県茅野市生まれ
  
  巳  寅
    車騎星 天馳星
牽牛星 車騎星 禄存星
天恍星   調舒星   天貴星


小平選手の日干の「」は、
庚金」と言って、鉱石・鉄鋼・刀剣・剛金で、
自分を変えない干です。

小平選手は、これまでの自分のフォームの欠点を、
指摘されても変えなかったということですが、
なるほど「庚金」ですね。

〉〉〉心に変化が生じたのは、

2014年ソチ五輪後に単身で2年間のオランダ武者修行に出たこと。

たとえば頭が前に突っ込みすぎていたフォーム。

ソチ五輪の練習のときに海外勢から疑問視する声も上がっていたが、

かつては自分のフォームを疑わなかった

だが、

オランダでコーチから同じ指摘を受けると修正に着手し、

ワールドカップ初優勝へとつなげた。(同上)


小平選手の日干支・庚午は、

離郷運」を持っているので、

生まれた家、生まれた土地を離れたほうが運勢がよくなるのですが、


本当に日本を離れて行った、このオランダ行きはよかったようですね

変えられない自分を変えることができた・・・

そして、それが勝利につながった・・・

 

〉〉〉オランダではオンとオフの切り替えも学んだ。

疲労の蓄積を心配する結城匡啓コーチから

「頼むから俺の言うこと聞いてくれ」と

練習をやめるよう説得されても、

小平は「まだ滑りたい」と休みも取らず氷の上に立ってきた

だから従来はシーズン後半になると決まってパフォーマンスが落ちることも。

でも視野の広がった小平が休日を受け入れ始めると、

年間を通してコンディションを維持できるようになった。


〉〉〉結城コーチは

「彼女はオランダで、考え方が全然違う人になって帰ってきた」と振り返る。

小平も実感を込める。

「オランダにいた2年間は自分自身とは何かを探すような時間だった。

現状に満足しても変わらないと気づいた。

型にはまらないオリジナリティーが自分の中で生まれ始めた」

 

小平選手は、太陽は双子座で、月は山羊座です。


日干支が庚金の小平選手は、自分を変えない

だから、尊敬する結城コーチから懇願されても、練習を休まず、

逆に成績があがらなかったのですが、


でも、

理論と言葉の星座である双子座生まれの小平選手は、

なるほど、と、納得できれば、自分を変えることはやぶさかではないのです。


小平選手は、

「インターハイ、国体優勝と、鳴り物入りで入学してきたけれど、
スケートはへたくそ
氷の表面を舐めて足を伸ばしているだけで、
いわゆるガチャガチャ滑り。
ひどい滑りをしていると思った」
それで、結城教授が、滑りを変える必要性を説くと、
「先生、私もそれがしたいんです」と目を輝かせたとのこと。


条件の良い有名な実業団から声がかかっても、それを断り、
信州大学の結城先生のもとで、と、こだわったのは、

高校生のときに、信州大の練習を見て、
考えることが見えるチーム」だ、と、思ったからだそうですね。

スケートは筋力・体力をつければ、早く滑れるものではない、
理想のスケーティングには、考え=理論が必要なんだ、と、
高校生の小平選手は、気づいていたのでしょう。


小平選手の、
知性をつかさどる星座である水星は、双子座にあり、
太陽・双子座の守護星も、この水星です。

それに、小平選手の月の山羊座は、
抽象理論が得意な星座です。

スケーティングの理想を追い求めたかったら、
結城教授のもとでやるしかない、と、わかっていたのだと思います。



結城コーチは、長野オリンピック金メダリストの清水宏保選手を育てた方であり、
データー分析での指導は定評ある大学教授です。

「スケートに関して、こんなに考えている人がいるんだ、
 スケートって、こんなに奥深い競技なんだな」

太陽・双子座水星・双子座
そして、理論・理屈の好きな月・山羊座の小平選手だったからこそ、
選べた道なのだろうな、と、思います。


ところで、

山羊座の守護星は土星です。


土星人に緊張を与え、不運感をもたらす凶星なのです。


ゲッ!!!"o(><o)(o><)o"ヤダー!


なのに、凶星が守護星?って?


?(゚_。)?アレ? ?(。_゚)?アレ?


実は、

凶星を守護星として持っているということは、

その凶星がもたらす災厄には強くなれる、ということなのです。


土星は、きびしいトレーナーのような存在で、

その厳しい練習に耐えられるのが、山羊座なのです。


特に、月の山羊座は、

この厳しい環境をわざわざ選んでやるようなところがあります。


オランダへの武者修行もそうでした。



(11分あたりから)


〉〉〉「強くなるといろんな環境を整えてもらって、そこに行くというのはあって、

 すごく当たり前のことというか、スポーツ界ではよくあることなんですけど、

 用意された環境の中を歩くというのは、

 自分の中ではあまり好きでは無い・・・


何の心配もなく、スケートだけに専念できる、

お得な、そして楽なコースを捨てて、

わざわざ苦労するであろう、損な道を選ぶのも、

月の山羊座の特徴なのです。


この動画の最初ですが、


オフのときも、リゾート地でのんびりするとか、

どこかに出かけて気持ちも身体もリフレッシュ、

というようなオフの過ごし方をやったことは一度もなくて


〉〉〉「オフは体を休めるのだけれど、
家の掃除を徹底的にしたりとか、
次のシーズンに使える道具を見るとか、自分の中でリフレッシュできるもの、
オフでそういう準備ができていないと落ち着かないというか、
練習が始まったときに、準備から始めなくてはいけない、というのがいやなので・・・」

中学・高校時代のコーチ、新谷純夫氏によると、
小平選手は、
「練習してるか、学校の勉強してるか、だいたい、どっちか」
「じゃ、暇なときは何してるの、というと、ビデオを見てる、
何のビデオを見てるかっていうと、スケートのビデオを見てる」

|)゚0゚(| ホェー!!

オランダ語も、

最終的には、日常会話ができるまでのレベルになっていますが、

家庭教師をつけてもらっている選手もいたそうですが、

彼女は、幼児用の本を買って、単語帳を作って学んだそうですね。


これも、知性の星座である、

太陽・双子座、水星・双子座の強みでしょうね。


ちなみに、長野オリンピックの金メダリストの清水宏保さんは、

「僕も、オランダとか海外に行きたかった、

実際に、そういうチャンスもあったんですけど、

行く度胸がなかったんですよね」と。

(上記動画、11分)


ヽ(=´▽`=)ノアララ・・・


清水さんは、火星牡牛座・・・・

ちょっと、弱くて、こわがりで、決断力が欠けるでしょうね。


それに対して、

小平選手の火星山羊座

凶星が守護星だけあって、強く、

決断力も行動力もあって、ばっちり動けますね。



そして、自身を「求道者」と称する小平選手


〉〉〉「勝ちたいということとは違うんですか?」と聞かれても、
勝ちたいということよりも、もっと究極な気がします」

と言う、小平選手・・・


清水さんとのインタビューの最後で、

記録に期待してください、記録に」という小平選手。



そういえば、先週記事にとりあげた高木菜那・美帆選手、

平昌オリンピックでの目標は、と、聞かれて、

(上記動画 28分35秒~)


蟹座の菜那選手は、

金メダルを取ることが一番の夢」と答えたのに対して、


双子座の美帆選手は、


〉〉〉「金メダル取るためにがんばるというよりは、

本当にオリンピックという舞台で、
やりきった、出し切った、よくやったって、
自分で思えるような滑りがしたい
っていうのは自分の中で変わらなくって、
それができたときに、金メダルが取れるくらいにレベルアップしていたい、というのが、
今の自分の素直な気持ち」


と、話しているように、


理想を求める風星座双子座にとっては、

金メダルを取ることが究極の目的ではないのですね。


〉〉〉「順位というものは、自分ではコントロールしようのないもの

相手がすばらしい滑りをしてきたら、2位、3位になってしまうもの」


だから、

〉〉〉「自分という物差しの上に自分をもっていきたい

 そこしか、自分というものをコントロールできないので」

(上記動画13分35秒~)


小平選手、ソチオリンピックの時は、五位で入賞を逃しましたが、

〉〉〉「実力が足りないのは自分でもわかっていながら、
やはり周りの期待に応えなければならないというのがあったので、
どこか息苦しさがあったんじゃないか」


〉〉〉「自分で選んでいるから
自分に自信がもてているから、
自分の責任だと思えば、
失敗も成功も全部受け入れられるという覚悟が決まってくる
ひとのためだったら、失敗したらどうしよう、って、思うのだけど、
私の人生だし、ここで失敗しても精一杯やればいいんだ、て、思えるし、
だから、緊張しなくなった


このすがすがしさが、風星座・双子座のいいところでしょうね。


そして、


〉〉〉「自分の人生、一回きりなので、

本当に後悔したくないので、

どうせやるのなら、自分が一番いいと思う環境で、自分で選んでやりたい」

本当に、そのとおりですね!

ラジャ(*゚ー゚)ゞ⌒☆


そして、そして・・・

小平選手が、31歳という年齢で、
オリンピックレコードを更新して獲得した金メダル!

フィギュアスケート選手が、20代半ばには引退していることから考えたら、
驚異のことなのですが、

それを可能にしているのは、
結城コーチによるデーター分析による地道な練習と、



そして、

奥にある筋肉で、背骨をひとつひとつ自由にうごかせるようにする、などの、

ヒョウやチーターのような身体を作るための肉体改造!




小平選手の命式は、
準第一守護神と、第二守護神が両透しており、
動きと攻撃の、車騎星2つ。
まさに、アスリート・・・

また、大運が最初から守護神回りで、
7歳からの第一旬が、第一守護神・で、
このときは、国体、インターハイ、総なめ優勝、

次の17歳から27歳までは、守護神回りだけど、
卯午の破の時期で、
バンクーバー、ソチと、ちょっと苦しかったのですが、

27歳からは、庚寅で、大半会!

小平奈緒の名前が、世界にとどろきましたね!


〉〉〉「駆け抜けている途中なので、今はまだゴールが見えてきません」。

理想を追い求める旅はまだ続く。


小平奈緒選手!


これからも、前人未踏の記録へ、

さらにさらに、駆け抜けてくださいね!

応援しています。

 

平昌オリンピックで、金・銀・銅の3つのメダルに輝いた

スピードスケート高木美帆選手が、

2018年3月10日、11日にオランダ・アムステルダムで行われた

世界オールラウンドスピードスケート選手権

日本人初、アジア勢初の総合優勝を果たし、


高木美帆 オールラウンド 


17日・18日には、今季最終戦のワールドカップで、

1500メートルで優勝して、この距離の今季種目別総合優勝と、

全種目での獲得得点による総合優勝を飾りました。


高木美帆 w杯総合優勝 


凄い!すばらしい!

(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ


平昌オリンピックでのパシュートでの金メダルも、大感動でしたが、


パシュート 日の丸 


オランダでの表彰式で、

掲揚される日の丸と、流れる君が代!

o(T^T)o感動!!!



広いスケートリンクを、独り占めにして、ウィニングラン!



〉〉〉地元じゃ有名な天才少女っぷり。

やはりメダリストになる選手には、“仰天伝説”があったーー。

〉〉〉「“神の子”だと言った指導者の方もいましたが、

それが言いすぎではないくらいの選手でしたねぇ」

そう話すのは、昨年まで帯広南商業高校スケート部顧問だった東出俊一さん。

東出さんは、女子スピードスケートの高木美帆の高校時代の恩師だ。

「私は顧問ではありましたが、

高校時代の彼女に、特に何かを教えたということはないんですよ(苦笑)。

小学生のころから地元では知らない人は誰もいないくらい図抜けた存在で、

中学生でオリンピックに出ている。

「本当に能力が高く、のびのびやってほしかったので、

余計なことは言わないように気をつけて、たまにアドバイスした程度でした」(東出さん、以下同)

競技もオールラウンダーなのですが、

私生活においてもオールラウンダーな子なんですよ。

地元でいちばんの進学校に入る学力もあったのですが、

競技の関係で、うちの高校に入学しました」

中学時代には国内で敵なしといえる、天才少女だった高木だが、

その才能はスケートだけにとどまらなかった。

「在学中もW杯であったり、国内外で遠征が多かったので、

1年のうち3分の1程度は学校を休まざるをえなかった。

それでいてテストなどは学年でトップレベルの成績を出す

学力だけでなくサッカーをやっても、

ダンスをやっても、なんでもできる子でした」

http://www.jprime.jp/articles/-/11674

週刊女性2018年2月27日号




すごいですね。

中学生でオリンピック出場・・・

史上最年少・・・



【女子団体パシュート金メダルの裏に。高木菜那・美帆 姉妹の絆と確執】


「妹がスーパースター、

中学生でオリンピックに出たということもあって、

すごく嫉妬して、

美帆ちゃんのおねえちゃん、と言われることにも、

すごく屈辱を感じたようですね」

(中学恩師・東出俊一 1分36秒~)


五輪のウエアに無邪気にはしゃぐ妹を見て、

「ウェアー、燃やしてやりたい」

応援席で日の丸を振りながらも、

「転べ!」と、思っていた菜那さん。


私は私、高木菜那であって、

「高木美帆のおねえさん」という名前ではない!


その悔しい思いが姉・菜那さんの背中を押します・・・


そして、次のオリンピックでは

姉の菜那さんが、ソチの出場権を獲得。




兄の影響で始めたスピードスケートでは、

菜那と美帆の姉妹はいつもトップで、表彰台に上っていたそうで、


姉がサッカーを始めれば、妹の美帆もサッカー、

ダンスを始めれば、ダンス。

そしていつも、姉の自分がトップに立ってたと思うと、

妹の美帆が追い越して、トップに立ってしまう・・・・


そして、自分があこがれてあこがれたオリンピック出場の切符を、

妹は、史上最年少でつかんでしまう・・・


同じ遺伝子を受け継いだ姉妹なのに、なぜ妹に勝てないのか・・・


体の小さな姉・菜那さんに対して、

妹の美帆さんは体格がよくて、背も大きい。



高木菜那(姉)1992年7月2日生まれ

 丙 壬

 午 申

     司禄星      天恍星

車騎星  龍高星  調舒星

天胡星  玉堂星    天禄星



高木美帆 1994年5月22日生まれ 

  甲

  巳   戌

     車騎星    天庫星

鳳閣星  龍高星  貫索星

天胡星  石門星    天禄星



菜那さんが己土で、大地

美帆さんは戊土で、大山です。

どちらも土性で、姉がで、妹が・・・・

陽(男性)干で、「大山」の美帆さんのほうが大きいのは、当然?かな???


そういえば、

兄より弟のほうが大きいご兄弟がいましたね・・・・


男子フィギュアスケートの、宇野昌磨選手と、弟・樹くんですが、

昌磨選手が陰干の癸水で、樹くんが陽干の丙火ですね・・・

たまたま・偶然かもしれませんが・・・・


それはともかく・・・・

菜那さん、美帆さん姉妹は、

主星が二人とも、

学んたことから新しいものを生み出そうとする龍高星


そして、ど真ん中に、エネルギー値11の天禄星

エネルギー値は、使いやすく、最高にいいですね。


そして、美帆さんは、ご自分の命式に、

姉・菜那さんの日干であるを持って生まれてきました。

美帆さんの人生のテーマのひとつは、姉・菜那さんだったのですが、


相手を意識して、奮起したのは、姉・菜那さんのほうだったのです・・・


「なぜ、私の名前は呼ばれないの」

「負けたくない!、妹には負けたくない!」


一番負けず嫌いで、ぎらぎらしていたのは、菜那

(高校恩師・東出氏)



奈那さんは蟹座

蟹座の守護星は月で、月は女性なのです。


そのせいだと思いますが、

蟹座は感情のエネルギーが強くて、

「意地」があるのです。


姉である私が、妹に負けているなんて、許せない!

私は勝つ、絶対に「勝つ」!


そして、菜那さんの獅子座にあるので、

大舞台に立っても、それほど動揺せずに戦っていける。


「比べられることがいやで、辛くて、

妹のことも話したくないって、なっていたけど、

バンクーバーオリンピックを見て、

世界って広い、

私の目標は妹ではなくて、世界なんだ、

世界と戦っていくんだ、という思いに変わった」

と、菜那さん・・・


高校を卒業した奈那さんは、実業団にはいって、

そして、ソチオリンピック出場を勝ち取り・・・


ソチオリンピックは、平昌オリンピックへの通過点と考えていた妹の美帆さんは、

出場資格を逃します・・・・



10分54秒~


美帆「自分、結構情緒不安定っすよ、

  すぐ、きゅーんって(気持ちが沈んで)行っちゃって」

菜那「(美帆は)ため込んで爆発する感じ、一気に涙が出て、

  その涙がかわいくて、

  本当に悔しそうな顔しながら、大粒の涙をぼろぼろ流すから

  それがかわいくて」

美帆「一番泣いているの自分ですよ」


菜那「今までが、その人に負けたくないって、気持ちでスケートをやってきた

  ソチまでだったら、美帆に絶対に負けたくないって、いう気持ちで練習してきた

  そういうひとつの目標のために全部自分を出していくっていうか」


美帆誰かに負けたっていうより、

  情けないレースをした時のほうが相当気持ちにきちゃうんで」


そうなんですね、

お二人のがんばり方って、全く違うのです。


蟹座の菜那さんは、

目の前のライバルに勝つということに全てを賭けています。


もともとという生き物は、武器はハサミだけの弱い生き物なので、

まず、敵か味方かに分けて考えることが多く、

そして、理想のために動くというより、

常に現実を見つめ、その現実に添って、対応を考える星座なのです。


だから、

目の前にいるライバルを超えることにすべてを賭けるのが菜那さん。


それに対して、

現実より理想を追い求める風星座

双子座・天秤座を太陽と月にもつ美帆さんは、

現実の誰かに勝つ、ということよりも、

自分の理想に添わない自分が情けないと思い、

それがいやだから、がんばろうとする・・・・


下は、二人がそれぞれの性格を話している動画ですが、




姉の菜那さんの性格を聞かれた美帆さん、

楽観的に見えて繊細ってところがある」


月の獅子座の菜那さん、

何事にも動じないところがあるので、

美帆さんから「楽観的だ」って評されてますね。


で、水星座の蟹座のやわらかい感じがあるので、

「・・・に見えて繊細」と。


それに対して、姉・菜那さんからみた美帆さんは、「大人ぶってる


菜那さんが天真爛漫に無茶やっていると、

それを冷静に分析して、菜那さんをいさめるそうで


それをやられる菜那さんは、

「姉の私が、なんで妹から叱られるの?」って、怒り出すそうですね。


理論(言葉)の星座である風星座の双子座を太陽に、

そして、天秤座を月にもつ美帆さんは、

蟹座の無茶ぶりを、冷静に批判して言ってしまうのでしょう。


パシュートの仲間も、言ってましたね。

いつもしゃべっているのが、菜那さん、

それに、冷静に突っ込みを入れているのが、美帆さん、て・・・・


o(〃^▽^〃)o


菜那さんに、妹の美帆さんが生まれてきたこと、

それが、マススタート初代女王の菜那さんを生み出したのは

間違いないし、


姉の菜那さんがいて、その後を追ったからこそ、

スピードスケート界の女王・高木美帆が生まれた・・・・


それを考えると、

二人が同じ土性の己土と戊土で産まれてきたのも、

そういう因縁だったのかもしれません・・・・


美帆さん、菜那さん、

これからも、すばらしい記録を残してください。

期待しています!


☆(*^o^)乂(^-^*)☆


2018年3月12日、平昌パラリンピック
スノーボードクロスで銅メダル
そして、16日、
スノーボードのバンクドスラロームで、金メダルに輝いた、
成田緑夢(ぐりむ)さん。

トリノオリンピックに兄妹で出場した
成田童夢・今井メロさんの弟さんです。

成田緑夢 金メダル 

成田緑夢さんの障害とは・・・

〉〉〉世界ジュニア大会(2013年)の1カ月後、
いつものように自宅でトランポリンを飛んでいました。
両足首にスキーの板の重さを想定した2.5キロずつの重りを付け、
2回転宙返りで5メートルを飛ぶジャンプ
1日に300回繰り返していました。

〉〉〉「飛んだ瞬間に左足が滑った」
体勢が崩れても、「背中から着地すれば大丈夫」。
しかし、その時は重りの付いた左足が体の回転についてこなかったのです。
前屈の体勢で落下し、左肩が左ひざに強打。
「バキッ」という大きな音とともにひざが逆に曲がりました。
前十字靱帯(じんたい)、後十字靱帯の断裂に、
半月板の損傷
動脈も破裂し、内出血が広がっていたといいます。

何故に、2,5キロもの重りを付けてやっていたのか、
両足で五キロ、そんな重いものを!って疑問でしたが、

スキー板を付けている状態を想定して練習していたんですね・・・・

で、二回転宙返り。
それを一日300回!

w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!

〉〉〉「歩けるようになる可能性は20%です」
「切断の可能性もあります」
医師は、両親にそう告げました。
病院のベッドでたくさんの管につながれ、
絶えず激痛に襲われたまま身動きのとれない状態
両親には「リアルな症状を教えないで」とお願いし、
「きっと少し脱臼して、少し骨が折れただけ」と自分に言い聞かせていました。

成田緑夢 怪我 

〉〉〉入院は半年におよび、手術は4度
「足は切らないでほしい」と父親が医師に懇願していたと、後で知りました。
しかし、腓骨(ひこつ)神経まひで、
左ひざから下の感覚を失う障害が残りました。

このトランポリンは、大阪市の実家の屋上にあり、
空中での姿勢や感覚を磨くためのものでしたが、
悲劇はこの場所で起きたそうです・・・・




ウェイクボード・水上スキーで、幼少期から鍛えられてきた
長男の童夢さんがスノーボードを始めたのが、9歳(1994年)
この年の2月1日に生まれたのが、次男の緑夢くんでした・・・

そして、翌年の1歳の夏には、


【スーパーテレビ 1995 『天才兄妹 成田童夢 夢露』予告】

そして、この冬のシーズンが始まると、
兄・姉と一緒に、まだ一歳というのに、
スノーボードを始め(させられ)ていました・・・・

上の動画で、父親の隆史さんが、言ってますが、
「失敗しても足骨折、だから、死にはせん」

Σ(|||▽||| )スゲー!!!

小さいジャンプ台だけど、
スキーはいたまま、横から転げ落ちてるし・・・・
(上の予告テレビ)

ものすごいスパルタ教育・・・・

だから
たった4歳で、長野オリンピックでの
スノーボードのデモンストレーターを
童夢くん、夢露さんと一緒にできたのでしょうけど・・・・


成田緑夢 1994年2月1日 大阪生まれ
 乙 癸
 丑 酉
      司禄星  天極星
玉堂星   石門星  調舒星
天将星  牽牛星  天印星

1998年、長野オリンピックの年は、戊寅年で、
緑夢さんにとっては、大半会の年・・・・

本人の行動範囲が、果ては宇宙規模まで広がるのが大半会ですが、
オリンピックのときのテレビに映るというのは、
日本全国の人々に、緑夢さんの名前が知られるわけで、
まさに、大半会の運気でした!

そして、
小学校時代には、世界大会に出場して、活躍!

兄・童夢さんと姉・夢露さんも世界大会で活躍して、
二人はトリノオリンピックに出場しましたが、
残念ながら、予選敗退・・・

兄・童夢さんは翌年2007年にまた怪我をして、
スノーボードから引退、
姉・今井メロさんも、同年のシーズンで四位と振るわず、引退、

それで、緑夢さんも、スノーボードから引退・・・

中学生になってからは、トランポリンを始めて、
ロンドンオリンピック出場選手の最終選考にまで残るくらいにまでなったのですけど、

父親がトランポリンの練習に口を挟んできて、
練習が楽しめなくなり、

そんなときに、
2010年バンクーバーオリンピックでの
ショーン・ホワイトのハーフパイプでの演技を見て、
これならできる、と、
同じものを、一発でやりとげてしまうのですが、

残念ながら、このとき、
ソチオリンピックのスノーボードの選考会は、すでに終了していました。

諦められない緑夢さん、
まだ選考会が残っていたスキーで出場しようと、
スキーに転向して、
3ヶ月で日本チャンピオンになり、
4ヶ月でジュニア世界選手権優勝。

このまま行ったら、2014年のソチオリンピック行ける、と、思ってた、
その2週間後の2013年4月に、トランポリンで大怪我・・・




だから、
スキー板の重さの重りをつけて、練習していたのですね。


それにしても、なぜ、2013年のこのタイミング?

成田緑夢さんは、初動天中殺をお持ちで、
2013年2月1日の19歳の誕生日に、この天中殺が明けていました・・・
そして、事故が起きたのは、
そこから2ヶ月後の4月でした。

19歳で大運の天中殺が明けたということは、
緑夢さんは、生まれたときから、天中殺運気だったのです。

つまり、19歳になるまでの活躍は、
すべて天中殺中の活躍だったのです。

天中殺でのものは、
天中殺が終わったあとにまで持ち越すことはできません・・・・

∑(=゚ω゚=;) マジ!?

そのうえ、緑夢さんは、
19歳の誕生日が、人生のターニングポイントの、
甲癸の境目でもありました。

スキーでソチオリンピックを目指そう、は、
天中殺が終わる前に始めていたことだったので、
無理だったということになりますね・・・・

辛いことに、
19歳からの大運は、癸亥忌神で、試練の時・・・
そして、
2013年は癸巳年で二重に忌神の年であるだけでなく、

この癸亥と癸巳は、納音(ナッチン)となり、
不要な部分を削って終わりにしなさい」という指令・・・

一度、立ち止まる時期だったのですね。

体も、この超ハードなトレーニングに
ついていかなかったのでしょうか?
立ち止まるにしても、大けが過ぎますが・・・
ε=(・o・*) フゥ


〉〉〉「スキーに行くぞ」
退院から半年もたたず、父親が言いました。
左足を引きずって30分も歩けば、
30分は氷水で冷やさなければ腫れも痛みも引かない状態のころでした。
痛みに耐えながらスキー靴を履き、

無理矢理、アメリカにスキーに連れて行かれたそうです。
歩けないのに、父・隆史さんは、
「2回宙(2回転宙返り)しろ!おまえならできる!」

アメリカから帰ってきた瞬間、
緑夢さんは、
「20年間お世話になりました!」って言って、
ボードをバンとおいて、家を出たそうですが、

そのうち遊びで、ウエイクボードを始めて、
一年後には、健常者の大会で、優勝・・・・

これって、やはり、
1歳からスノーボードを始めて、
2歳から水上スキー、
3歳からトランポリン、と、
体幹を鍛えて、空中感覚を養ってきた
そのおかげだからですよね。

スパルタでいろいろびっくりのおとうさんですが、

事故から一年も経たずに、まだ歩くこともままならない状態なのに、
「スキーに行くぞ」というおとうさんですが、

あれだけの大けがをして、歩くことも大変な緑夢さんが、
もう一度、スポーツの世界に戻ってこられたのも、
このおとうさんのもとで、体を作ってきたからですよね。

「成田家は生まれた時から五輪を目指すのが当然の環境」で、
スポーツをやる理由は考えたことがなく、

『父が脳、子どもはロボット』
そして、
「少し前の成田家は、結果がすべて」だったそうなのですが、

ウェイクボードの大会での優勝で、

〉〉〉「けがをしても、頑張っている緑夢君に勇気をもらった」。
障害のある人からのメッセージが届き、

〉〉〉「自分がスポーツをすることで、誰かを励ませるかもしれない」
初めて、スポーツをする意味を考えるようになりました。
五輪は無理でも、パラリンピックがある。
結果を出せば、障害のある人やけがで
引退を迫られたスポーツ選手たちの夢や希望になれるかもしれない、そう思いました。

〉〉〉痛みは消えず、
動かない左足はまるで棒が刺さっているようです。
それでも、まずは陸上の走り高跳びでリオデジャネイロ・パラリンピックを目指しました。
リオには成績不足で間に合わず、
昨年11月から本格的にスノーボードを始めました。
初出場のワールドカップでは4位入賞。上位とは大きな差がありました。
「みんな本当に障害があるのか」。
競技レベルの高さに、本気になりました。

〉〉〉昔の感覚で滑れば転んでしまいます。
義足や同じような障害のある選手に話を聞いては、
ゲレンデで練習を繰り返しました。
ターンの時に踏ん張りの効かない左足をカバーするために、
右手を大きく前に出したり、左手でウェアのパンツをつかんだりして
バランスをとり、コツをつかんでいきました。

成田緑夢 スノボ1 

〉〉〉今年1月の北米選手権と2回のワールドカップは3連勝。
2月には、世界選手権でも3位に入りました。
「五輪もパラリンピックも関係ない。
僕の中では同じスポーツだと思う。
けがをして、僕がスポーツをすることで
誰かの励みになれることを知ったから、
パラリンピックに出場して、夢や希望を与えられる選手になりたい」と話します。
目指すは、夏冬のパラリンピック出場、そして五輪への夢もまだ諦めていません。
【「五輪は当然」成田家の末っ子が障害者に・・・気づいたスポーツの意味】
2017年02月25日
成田選手だけでなく、
今回のパラリンピックで活躍された選手の方々のこれまでの歩みは、
健常者の私たちからは、
到底、想像もつかない大変なものだったのだろうな、と、思います。

私も、誰かのために、
今日一日を、そして明日を、生きていきたい、
そういう気持ちで今、おります。

成田緑夢さん、これからもがんばってくださいね。


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