織田信長の生年月日、通説の5月12日と異説5月28日、どちらが正しい?

 27, 2017 19:35

昨年(2016年)6月に、織田信長の記事を書いてから、

早くも一年半が経ってしまいましたが、


織田信長 


今年(2017)3月に、これまでの通説の5月12日ではなくて、

5月28日が確かである、という説が出ていました。


これは、今年の3月20日の読売新聞に載ったのですが、


〉〉〉石田さん(愛知県愛西市の佐織公民館館長の石田泰弘氏(53))は

信長の誕生日についても調べた。

定説は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが

「信長は誕生日の19日後に本能寺の変で焼死した」との記載から、

引き算で計算された5月11日か12日。

しかし、尾張などに関する信頼性の高い三つの史料

「5月28日」と記されていることを確認した。

「地元の資料を丹念に調べることで、

地元でも忘れられていた信長や父・信秀の歴史を掘り出すことができた」と振り返る。

http://www.yomiuri.co.jp/chubu/feature/CO022951/20170318-OYTAT50029.html?from=tw


「信頼性の高い三つの資料」というのが、

どういうふうに信頼性があるのか、わかりませんが、


その前に、確認しておきたいのは、


織田信長の生まれた日、天文3年5月12日が、

1534年6月23日と、wikipediaなどでは言われておりますが、


これは、ユリウス暦であって、

今、私たちが使っているグレゴリウス暦とは違うということです。


ユリウス暦は、

織田信長が亡くなった年(1582年)の10月4日まで使われていた暦で、

その翌日から、グレゴリウス暦に変更になっています。


なので、

織田信長以前に活躍していた人たちの年月日は、

グレゴリウス暦に変換し直さないと、日付が違ってくる、ということなのです。


【織田信長の本当の生年月日って?

   ユリウス暦とグレゴリオ暦】 参照

http://uranaiwanko.jp/blog-entry-122.html


ということで、


1534年6月23日は、和暦をユリウス暦に換算した日付なので、

今の西暦の日付=グレゴリウス暦に直すと、

信長の生年月日は、1534年7月3日となり、


信長が死去した日=本能寺の変が起きた日、

天正10年6月2日は、言われている6月21日ではなくて、

1582年7月1日となります。


このユリウス暦とグレゴリウス暦の日付は、

「こよみのページ」和暦・西暦対応表を参照されると、

一目瞭然でよくわかりますので、ご紹介しておきますね。


「こよみのページ」和暦・西暦対応表

http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/kyuureki.htm

注:「日.G」がグレゴリウス歴、「日.J」がユリウス暦



それで、

「信頼性の高い資料」による5月28日生まれと、

ロイス・フロイトの記述から割り出した通説の5月12日生まれと、

どちらが、信長の生年月日か、

占星学(算命学)で検証してみたいと思います。


まず、

天文3年5月28日「甲午」の命式を出してみます。

グレゴリウス歴に直すと1534年7月19日、ユリウス暦では7月9日です。


甲 辛 甲       貫索星 天極星

午 午 午   司禄星 石門星 司禄星

        天極星 牽牛星 天庫星


右側に記載した8つの星のうち、

「天」が頭に付く三つの星、これがエネルギー値になります。


5月28日生まれの人のエネルギー値は、

右上の天極星、右下の天庫星、左下の天極星となります。


天極星はエネルギー値が天庫星 となり、

三つ合わせても、のエネルギー値しかありません。


左下の星が「腹の星」で、ここで、その人の腹の大きさを見るのですが、

5月28日生まれは、「天極星」となって、腹の大きさはとなります。


「天極星」というのは、

物事を注意深く、見「極」めながら、進もうとする星です。


エネルギー値最大の天将星が12以上無限大に対して、


天極星は、たったの2ですから、

たくさんのことを一気にやれるタイプの人間ではないのです。


目標を定めて、それに向かってひとつづつこなしていくタイプなので、

研究者や、技術者に向いています。


気は小さいですが、

腹の天将星が、アバウトになってしまうのと対照的に、

目標を定めて行くので、成功する人も多くなります。


エネルギー値が大きい、小さい、


それは、どちらがいい、悪い、ではなくて、

それぞれの特質を知って、それを活かせばよい、ということなのですけどね。


話を戻しまして、


天極星は行動力がありますが、

目先のことが中心になってしまうので、

巨視的に、大きく物事を見るということが不得手なところがあります。


それに対して、


天文3年5月12日「戊寅」の命式は、


戊 庚 甲       車騎星 天将星

寅 午 午   車騎星 玉堂星 玉堂星

        天貴星 鳳閣星 天将星   


天貴星がエネルギー値・天将星12以上無限大、です。

三つ足して、33以上無限大となります。


腹の星である「天貴星」は、知識欲旺盛な少年の星で、

失敗を恐れず、飛び込んで行くことができる星です。


そして、二つもある天将星・・・

天将星は「将軍」「大将」の星です。


親分肌で、事を起こすにあたって、躊躇が少なく

どのような状況であっても、苦手意識が少なくて力を発揮できる星です。


信長は、幼少期は、「大うつけ」と呼ばれていたというのは、

信長の旧臣である太田牛一が書き残した「信長公記」にありますが、


「本来は入浴時などに着る湯帷子を普段着にして、袖は脱ぎっぱなしだった」

「まげは、毛先をツンツンにして、まるで茶道で使う茶筅のような結い方で、

しかも紅や萌黄の派手な糸で巻き上げていた」

「街中では、お供にだらしなく寄りかかりながら歩き、平気で柿や瓜をかじっていた」

「父・信秀の葬儀に際しては、いつもの奇妙な格好で現れ、焼香を位牌に投げつけて帰った」

http://historivia.com/cat1/oda-nobunaga/3972/


こういう豪放磊落な行動は、

初年(右上の星)が天極星では、ちょっとできないかな・・・

もっと小さめにまとまってしまうように思います。


初年が天将星で、

無限大のエネルギー値をもてあましている感じだと、

わかる気がするのです。


次に、日干支で、分析してみます。


5月28日は、「甲午」です。


「甲」は樹木で、夏の盛り(午)の繁茂した樹木です。

「午」は頂点であり、頂点とは、あとは下がるしかない場所です。

なので、

これ以上は成長しない樹木で、実際の力は衰えてきています

夏の木で、枝葉がしっかりと繁っているので、

外見はしっかりしているように見えますが、

実は気が弱い・・・・


純粋でお人好しで、優しい心をもつ人です。

優しさゆえに、生きにくい。

神経が繊細で、内にこもってしまう・・・



それに対して、5月12日「戊寅」は、

寅(東北)の方角に連なる雄大な山で、

木性である「寅」の木が生い茂っています


その上、

この日は、年干に「甲」の樹木があるので、

この連山はますます栄えて、成功者になりやすいのです。


「長の器」と言われ、周囲の人を引きつけ、集団の長になりやすい。

政治家・事業家に向く、とのこと・・・・


上田享矢『六十花甲子法』より



こうやって、

通説の5月12日と、異説の5月28日とを比べてみますと、


5月28日の命式では、歴史のエポックメイキングとなった

あの織田信長像は、ちょっと想像できない、と、思うのです。


なにせ、天将星というのは、

普通の人生を送っていたのでは、

消化しきれないエネルギー値の星です。


信長は、その天将星をふたつも、もっていたとすれば、

あの高層建築の、豪華絢爛な安土城にしても、

信長は神様になろうとしていたの?それとも・・・】

http://uranaiwanko.jp/blog-entry-135.html


彼の激動の人生にしても、

なるほど、と、うなづけるのですが、

みなさんは、どう、思われますか?



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