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パラリンピック・スノボで銅と金の成田緑夢さん、膝下マヒの悲劇はなぜ起きたの?そして、今!

 18, 2018 19:40
2018年3月12日、平昌パラリンピック
スノーボードクロスで銅メダル
そして、16日、
スノーボードのバンクドスラロームで、金メダルに輝いた、
成田緑夢(ぐりむ)さん。

トリノオリンピックに兄妹で出場した
成田童夢・今井メロさんの弟さんです。

成田緑夢 金メダル 

成田緑夢さんの障害とは・・・

〉〉〉世界ジュニア大会(2013年)の1カ月後、
いつものように自宅でトランポリンを飛んでいました。
両足首にスキーの板の重さを想定した2.5キロずつの重りを付け、
2回転宙返りで5メートルを飛ぶジャンプ
1日に300回繰り返していました。

〉〉〉「飛んだ瞬間に左足が滑った」
体勢が崩れても、「背中から着地すれば大丈夫」。
しかし、その時は重りの付いた左足が体の回転についてこなかったのです。
前屈の体勢で落下し、左肩が左ひざに強打。
「バキッ」という大きな音とともにひざが逆に曲がりました。
前十字靱帯(じんたい)、後十字靱帯の断裂に、
半月板の損傷
動脈も破裂し、内出血が広がっていたといいます。

何故に、2,5キロもの重りを付けてやっていたのか、
両足で五キロ、そんな重いものを!って疑問でしたが、

スキー板を付けている状態を想定して練習していたんですね・・・・

で、二回転宙返り。
それを一日300回!

w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!

〉〉〉「歩けるようになる可能性は20%です」
「切断の可能性もあります」
医師は、両親にそう告げました。
病院のベッドでたくさんの管につながれ、
絶えず激痛に襲われたまま身動きのとれない状態
両親には「リアルな症状を教えないで」とお願いし、
「きっと少し脱臼して、少し骨が折れただけ」と自分に言い聞かせていました。

成田緑夢 怪我 

〉〉〉入院は半年におよび、手術は4度
「足は切らないでほしい」と父親が医師に懇願していたと、後で知りました。
しかし、腓骨(ひこつ)神経まひで、
左ひざから下の感覚を失う障害が残りました。

このトランポリンは、大阪市の実家の屋上にあり、
空中での姿勢や感覚を磨くためのものでしたが、
悲劇はこの場所で起きたそうです・・・・




ウェイクボード・水上スキーで、幼少期から鍛えられてきた
長男の童夢さんがスノーボードを始めたのが、9歳(1994年)
この年の2月1日に生まれたのが、次男の緑夢くんでした・・・

そして、翌年の1歳の夏には、


【スーパーテレビ 1995 『天才兄妹 成田童夢 夢露』予告】

そして、この冬のシーズンが始まると、
兄・姉と一緒に、まだ一歳というのに、
スノーボードを始め(させられ)ていました・・・・

上の動画で、父親の隆史さんが、言ってますが、
「失敗しても足骨折、だから、死にはせん」

Σ(|||▽||| )スゲー!!!

小さいジャンプ台だけど、
スキーはいたまま、横から転げ落ちてるし・・・・
(上の予告テレビ)

ものすごいスパルタ教育・・・・

だから
たった4歳で、長野オリンピックでの
スノーボードのデモンストレーターを
童夢くん、夢露さんと一緒にできたのでしょうけど・・・・


成田緑夢 1994年2月1日 大阪生まれ
 乙 癸
 丑 酉
      司禄星  天極星
玉堂星   石門星  調舒星
天将星  牽牛星  天印星

1998年、長野オリンピックの年は、戊寅年で、
緑夢さんにとっては、大半会の年・・・・

本人の行動範囲が、果ては宇宙規模まで広がるのが大半会ですが、
オリンピックのときのテレビに映るというのは、
日本全国の人々に、緑夢さんの名前が知られるわけで、
まさに、大半会の運気でした!

そして、
小学校時代には、世界大会に出場して、活躍!

兄・童夢さんと姉・夢露さんも世界大会で活躍して、
二人はトリノオリンピックに出場しましたが、
残念ながら、予選敗退・・・

兄・童夢さんは翌年2007年にまた怪我をして、
スノーボードから引退、
姉・今井メロさんも、同年のシーズンで四位と振るわず、引退、

それで、緑夢さんも、スノーボードから引退・・・

中学生になってからは、トランポリンを始めて、
ロンドンオリンピック出場選手の最終選考にまで残るくらいにまでなったのですけど、

父親がトランポリンの練習に口を挟んできて、
練習が楽しめなくなり、

そんなときに、
2010年バンクーバーオリンピックでの
ショーン・ホワイトのハーフパイプでの演技を見て、
これならできる、と、
同じものを、一発でやりとげてしまうのですが、

残念ながら、このとき、
ソチオリンピックのスノーボードの選考会は、すでに終了していました。

諦められない緑夢さん、
まだ選考会が残っていたスキーで出場しようと、
スキーに転向して、
3ヶ月で日本チャンピオンになり、
4ヶ月でジュニア世界選手権優勝。

このまま行ったら、2014年のソチオリンピック行ける、と、思ってた、
その2週間後の2013年4月に、トランポリンで大怪我・・・




だから、
スキー板の重さの重りをつけて、練習していたのですね。


それにしても、なぜ、2013年のこのタイミング?

成田緑夢さんは、初動天中殺をお持ちで、
2013年2月1日の19歳の誕生日に、この天中殺が明けていました・・・
そして、事故が起きたのは、
そこから2ヶ月後の4月でした。

19歳で大運の天中殺が明けたということは、
緑夢さんは、生まれたときから、天中殺運気だったのです。

つまり、19歳になるまでの活躍は、
すべて天中殺中の活躍だったのです。

天中殺でのものは、
天中殺が終わったあとにまで持ち越すことはできません・・・・

∑(=゚ω゚=;) マジ!?

そのうえ、緑夢さんは、
19歳の誕生日が、人生のターニングポイントの、
甲癸の境目でもありました。

スキーでソチオリンピックを目指そう、は、
天中殺が終わる前に始めていたことだったので、
無理だったということになりますね・・・・

辛いことに、
19歳からの大運は、癸亥忌神で、試練の時・・・
そして、
2013年は癸巳年で二重に忌神の年であるだけでなく、

この癸亥と癸巳は、納音(ナッチン)となり、
不要な部分を削って終わりにしなさい」という指令・・・

一度、立ち止まる時期だったのですね。

体も、この超ハードなトレーニングに
ついていかなかったのでしょうか?
立ち止まるにしても、大けが過ぎますが・・・
ε=(・o・*) フゥ


〉〉〉「スキーに行くぞ」
退院から半年もたたず、父親が言いました。
左足を引きずって30分も歩けば、
30分は氷水で冷やさなければ腫れも痛みも引かない状態のころでした。
痛みに耐えながらスキー靴を履き、

無理矢理、アメリカにスキーに連れて行かれたそうです。
歩けないのに、父・隆史さんは、
「2回宙(2回転宙返り)しろ!おまえならできる!」

アメリカから帰ってきた瞬間、
緑夢さんは、
「20年間お世話になりました!」って言って、
ボードをバンとおいて、家を出たそうですが、

そのうち遊びで、ウエイクボードを始めて、
一年後には、健常者の大会で、優勝・・・・

これって、やはり、
1歳からスノーボードを始めて、
2歳から水上スキー、
3歳からトランポリン、と、
体幹を鍛えて、空中感覚を養ってきた
そのおかげだからですよね。

スパルタでいろいろびっくりのおとうさんですが、

事故から一年も経たずに、まだ歩くこともままならない状態なのに、
「スキーに行くぞ」というおとうさんですが、

あれだけの大けがをして、歩くことも大変な緑夢さんが、
もう一度、スポーツの世界に戻ってこられたのも、
このおとうさんのもとで、体を作ってきたからですよね。

「成田家は生まれた時から五輪を目指すのが当然の環境」で、
スポーツをやる理由は考えたことがなく、

『父が脳、子どもはロボット』
そして、
「少し前の成田家は、結果がすべて」だったそうなのですが、

ウェイクボードの大会での優勝で、

〉〉〉「けがをしても、頑張っている緑夢君に勇気をもらった」。
障害のある人からのメッセージが届き、

〉〉〉「自分がスポーツをすることで、誰かを励ませるかもしれない」
初めて、スポーツをする意味を考えるようになりました。
五輪は無理でも、パラリンピックがある。
結果を出せば、障害のある人やけがで
引退を迫られたスポーツ選手たちの夢や希望になれるかもしれない、そう思いました。

〉〉〉痛みは消えず、
動かない左足はまるで棒が刺さっているようです。
それでも、まずは陸上の走り高跳びでリオデジャネイロ・パラリンピックを目指しました。
リオには成績不足で間に合わず、
昨年11月から本格的にスノーボードを始めました。
初出場のワールドカップでは4位入賞。上位とは大きな差がありました。
「みんな本当に障害があるのか」。
競技レベルの高さに、本気になりました。

〉〉〉昔の感覚で滑れば転んでしまいます。
義足や同じような障害のある選手に話を聞いては、
ゲレンデで練習を繰り返しました。
ターンの時に踏ん張りの効かない左足をカバーするために、
右手を大きく前に出したり、左手でウェアのパンツをつかんだりして
バランスをとり、コツをつかんでいきました。

成田緑夢 スノボ1 

〉〉〉今年1月の北米選手権と2回のワールドカップは3連勝。
2月には、世界選手権でも3位に入りました。
「五輪もパラリンピックも関係ない。
僕の中では同じスポーツだと思う。
けがをして、僕がスポーツをすることで
誰かの励みになれることを知ったから、
パラリンピックに出場して、夢や希望を与えられる選手になりたい」と話します。
目指すは、夏冬のパラリンピック出場、そして五輪への夢もまだ諦めていません。
【「五輪は当然」成田家の末っ子が障害者に・・・気づいたスポーツの意味】
2017年02月25日
成田選手だけでなく、
今回のパラリンピックで活躍された選手の方々のこれまでの歩みは、
健常者の私たちからは、
到底、想像もつかない大変なものだったのだろうな、と、思います。

私も、誰かのために、
今日一日を、そして明日を、生きていきたい、
そういう気持ちで今、おります。

成田緑夢さん、これからもがんばってくださいね。


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