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真実の歴史②日中戦争を計画したのは、ヒトラーを警戒するスターリンと、蒋介石に惨敗していた毛沢東でした。し

 22, 2018 19:10
日中戦争(支那事変)の勃発と言われている
1937年の「盧溝橋事件」の前年の西安事件

それは、
蒋介石の国民党軍に追い詰められて
瀕死の毛沢東に降って湧いてきた
天からのお恵みの天佑

毛沢東はそのときソ連国境の延安にいたのに、
300キロ離れた西安にいる張学良
どうやって連絡を取って味方につけることができたのか?

当然、間をとりもつ誰かがおりまして・・・・

毛沢東とスターリン 

毛沢東 西安 

【西安事件の謎を解く】

まずは、この時の状況ですが・・・・

〉〉〉国民党指導者の蒋介石国交内戦9年
ついに毛沢東を僻地延安に追い詰め、
支那統一五分前という絶好の位置につけていた。

〉〉〉彼の戦略は、安内攘外といって、
国内を統一してから、
支那を植民地にしている英国などと交渉して
独立国として権利を取り戻そうというものであり合理的であった。

毛沢東 蒋介石 

〉〉〉日本は1932年に満洲国を作ったが、
蒋介石日本タンクー協定を結んで、
満洲との鉄道、通信を正常化し、
日本とは良好な関係を維持していた。

〉〉〉蒋介石が一番警戒していたのが共産党であり、
日本は皮膚病だが、
中国共産党は(生命取りの」心臓病である」と述べたのはよく知られている。

〉〉〉日本は蒋介石と反ソ反共で一致していたので、
軍事顧問を送るなど協力していた。
ソ連警戒中
大陸の戦争に利益なし!

・・・そうですよ、
戦争になったら、
平和に日々を過ごしている満州国や中国にいる日本人を、
戦乱の中におくことになりますから、
戦争なんてしたくない!

当然ですね!∠(・_・)ラジャ!

ところが、ここに、
日本と蒋介石を戦争させたい輩がひとりおりまして・・・・

それが、ソ連ヨシフ・スターリンでした

スターリン 

〉〉〉欧州ではヒトラーが台頭し、軍事力を強化していた。
これを見たスターリンは、東西挟撃を恐れて、
東部国境の反共勢力である日本と蒋介石無力化することを考えた
それは両者の戦争であった。

・・・蒋介石も日本も、反共産主義です。
共産主義に反対するこの二者がやりあってくれたら、
共産党のスターリンのソ連と毛沢東は漁夫の利を得られます。

|* ̄∇ ̄|ヘヘッ オイシイネ

〉〉〉スターリン
反共の蒋介石対日戦争に利用することを考えた。

〉〉〉それは毛沢東は蒋介石と比べると田舎者であり、
欧米の支援を取り付けるのは難しく、
蒋介石なら、それが可能だ、と見たからである。

〉〉〉また、スターリンは1926年蒋介石
軍艦「中山」号で誘拐しようとして失敗している。

・・・蒋介石を自分の手駒にしようとしていた、ってことかな?

 (* ̄ρ ̄)”ヘー…

〉〉〉1935年、ソ連のコミンテルン第七回大会では
主敵をナチスドイツ、ポーランド、日本としている。
中共を滅ぼそうとしている蒋介石は入れていない。
ということはスターリンはこの時すでに蒋介石を利用して
日本攻撃を行わせる戦略を持っていたということになる。

〉〉〉コミンテルンは「スターリンの手袋」と言われ、
KGBが金も人も支配するソ連海外謀略工作の偽装組織であった。

・・・そして
蒋介石を騙して監禁した張学良という輩・・・

毛沢東 張学良 

〉〉〉張学良満洲の軍閥張作霖の継承者である。
満洲で日本人を迫害し、
協定侵犯を300件以上起こしたので
少数の日本軍に反撃されて(満洲事変
満州から中国本土に追い出され
部下を連れて当時国民党蒋介石軍の配下になっていた。

∑('□'*('□'*)エッ?

・・・てことは?
満州事変でも、悪いのは張学良であって、
日本は、何も悪くなかった!

・・・張学良が満州を治めていたといっても、
ごろつきの親分と同じで、
満州の人民は、奴隷状態で、搾取されていました。
張作霖も張学良も、満州の予算の85%が軍事費、
そのうえ、数年先分までの税金の前払いを強制していたのですから、
仁義があるやくざのほうが、まだましで、
単なる泥棒集団と変わらなかった・・・・

|;-_-|=3ハァ、酷イモンダ

・・・満州事変、柳条湖事件については、またにしますが・・・

それで、
〉〉〉蒋介石張学良に
共産軍本拠地の総攻撃を命じていた


そして、
〉〉〉延安に追い詰められた中共軍の毛沢東は、
彼はソ連の顧問団とともに
飛行機でソ連に逃亡する準備を終えていたという。

( ̄- ̄)フーン
さすが、抜け目ないね・・・

〉〉〉この毛沢東の中共を管理していたのがソ連である。
ソ連は1921年に中共を設立し、顧問団、金、武器を毛沢東に与えて、
ソ連の極東政策に利用していた。

〉〉〉当時の毛沢東田舎のゲリラの隊長にすぎず、
世界の左翼から神と畏怖されていたスターリンとは月とスッポンであった。

・・・毛沢東の「長征」とは後から作られた創作で、
現実は、洞窟に隠れ住み、
行く先々で、村を襲って、強奪・陵辱・殺人を繰り返し、
蒋介石からは、「洞窟のゲリラども」と呼ばれていたそうです・・・

その蛮行を覆い隠すために名付けたのが、「長征」

・・・上記の地図で、
「毛児蓋」とある地域はチベットです。
チベットはこのときから、中共軍の餌食になっていました・・・

さて、
1936年12月12日西安事件に至る経過を見て生きましょう。

1936年6月
〉〉〉エドガースノー延安を訪問し周恩来と面談した。

・・・エドガースノーはアメリカのジャーナリストで、
中国共産党と親しかった・・・・

〉〉〉この時のことを、スノーは、戦後1957年になって初めて
「中共雑記」の中で紹介している。
〉〉〉このとき周恩来はスノーに、
蒋介石を利用して対日戦争を行わせる戦略を語った。
これはソ連が第七回コミンテルン大会で示唆したものである。
そして周は「蒋介石が対日攻撃をする時が、
蒋介石の没落の始まりになるだろう」と述べる。
この戦略は、勿論周恩来ひとりの案ではなく、
毛沢東そして黒幕スターリンの戦略である。

〉〉〉これは毛沢東が蒋介石を殺すつもりなど
はじめからなかったことを示しており、
西安事件の基本構想が
中共幹部の間で共有されていたことを意味する。

1936年11月
〉〉〉蒋介石は9年がかりの国共内戦に勝利し、
支那統一の五分前の絶好の位置につけていた。
〉〉〉そこで延安総攻撃準備を
部下の張学良将軍に命令
〉〉〉ソ連顧問団と毛沢東は脱出の準備。

1936年12月12日
〉〉〉蒋介石は、部下の張学良の要請で
延安総攻撃の打ち合わせのため西安に赴く
これがワナだった。
危険を知らせる警報もあったという。
完全勝利目前の油断であった。

1936年12月13日
〉〉〉早朝、張学良、楊虎城の数千の反乱軍が宿舎を包囲。
護衛部隊は射殺された。
蒋介石は寝間着姿で裏山に逃げ込んだが逮捕された。

〉〉〉事件直後の朝日新聞はソ連の謀略工作であると報道している。
一方ソ連のタス通信日本の謀略であると報道した。
出鱈目情報で世界を混乱させたのである。

〉〉〉張学良が国共内戦の停止と対日戦争を要求した。
しかし、蒋介石は長年の支那統一戦略をやめることになるので、
当然ウンといわない。

〉〉〉周恩来が来て蒋介石と会談。
1924年の国共協力当時
蒋介石は士官学校の校長、周は政治主任であったので面識はあった。
周が「校長、お久しぶりです」と声をかけると蒋介石はびっくりしたという。

〉〉〉そして周恩来は、ソ連顧問団(=スターリンの指示により、
蒋介石の生命と、
スターリンに12年間人質にされている長男蒋経国の命との引き替えに、
蒋介石に降伏を要求したと考えられる。
米国の専門家は蒋介石は頭にピストルを突き付けられたのだろうと述べている。

1936年12月
〉〉〉南京の国民党は指導者蒋介石を取り戻すために
大部隊を西安に向かわせる動きを始めた。
これをみてソ連、中共、張学良らはあわてた
蒋介石が死んでは筋書きが狂ってしまい困るからである。
 
〉〉〉そこに蒋介石の夫人宋美齢が空路、西安に到着した。
おそらく姉の共産主義者の宋慶齢から
スターリンの蒋介石釈放条件を知らされたのであろう。
そこで蒋介石はこの条件を呑んで降伏した。
文書はないというが何があったかはわからない。
土下座した写真を撮られたかもしれない。
共産党は抜け目がないからだ。
この間二週間かかった。

1936年12月24日
〉〉〉蒋介石、釈放。夫妻は空路南京へ帰還した。
この時見送りにきた張学良は、突然飛行機に乗り込み無理やり随行した。
蒋介石は驚いたが、
これはソ連と共産党から用済みで殺されることを恐れたためといわれている。

〉〉〉南京に戻ると蒋介石は従来の国民党の基本方針を一変した。
イ、支那統一放棄
ロ、国共内戦停止
ハ、親日派幹部更迭
ニ、対日戦争準備

〉〉〉対日攻撃の準備:
イ、武器、弾薬、食料の備蓄。兵員百万人の6か月分。馬10万頭6か月分など。
ロ、上海郊外に七万のトーチカ陣地と重機関銃装備など。
ハ、ソ連が三億ドルの軍事援助
  総計、戦闘機・爆撃機一千機。兵員4千名。秘密裏に到着。

〉〉〉1924年以来12年間もスターリンの人質になっていた蒋介石長男、
蒋経国が許され、ソ連人妻を帯同して帰国。
(西安事件の取り引きの結果とみられている)

1937年7月8日
〉〉〉北京近郊で盧溝橋事件ほか対日攻撃事件が発生。
陽動作戦
関心を主戦場の上海から北にそらす。

1937年7月29日
〉〉〉北京近郊通州日本人200名以上の大虐殺発生
日本人を怒らせ大陸の戦争に引きずり込むねらい。

1937年7月31日
〉〉〉米軍顧問シェンノート
蒋介石から対日攻撃の命令受領

1937年8月12日
〉〉〉米軍顧問シェンノート、蒋介石夫人宋美齢から
上海の欧米人に戦争の警報を伝えるように指示された。

1937年8月13日
〉〉〉蒋介石軍五万
協定を破って、上海の日本人居留区を攻撃
日本側水兵四千名と居留民が必死の防衛。
これが支那事変の始まりであった。

〉〉〉蒋介石は最初排日としていたが、KGBの指導で抗日とした。
英語だと抵抗する側が弱く、
正義があるように感じさせる宣伝効果があるからである。
〉〉〉被害者偽装である。
〉〉〉実際は攻日(日本を攻撃)であった。

〉〉〉このあと日本の反撃。
上陸軍の大被害、杭州湾逆上陸。
日本、南京占領
日本講和提案蒋介石の拒否
国民党親日政権樹立

・・・日本は、日本による政権を樹立していないのです。
親日中国人による政権を樹立させています。
なのに、なぜ、侵略した、と言われるのでしょうね・・・

〉〉〉日本の内陸進攻、 
蒋介石の重慶逃亡、勢力圏膠着7年となる。

〉〉〉蒋介石は主人のソ連の軍事支援
のち米国の軍事援助がなければ
一日も日本と戦うことはできなかった。

1945年3月
〉〉〉蒋介石が密使繆斌(ミョウヒン)を日本に派遣。
講和と日本軍10万の貸与を要請。不成立。

・・・「日本軍10万の貸与」!?
( ゚д゚)ハァ?何ソレ?

さんざん、日本を中国での戦いに引き込んでおいて、
今度は助けてほしいから、日本軍を貸して・・・・

(゚∀゚)ウワ!(゚⊿゚)アキレタ!

〉〉〉戦後、繆斌は口封じのため蒋介石が処刑

エッ? (;゚⊿゚)ノ
・・・中国人も、たいへんだねえ・・・・

1945年8月15日
〉〉〉日本降伏。
蒋介石軍の被害150万。日本の被害50万人。
実にもったいないことであった。

〉〉〉蒋介石は、中共に敗退し1949年に台湾に逃亡した。
この時、蒋介石を西安で包囲した楊虎城は家族もろとも処刑された。
張学良蒋介石に随行して台湾に移住した。
この裏では満洲で住民から絞り取った5億ドル
といわれる金を代償に助命されたという。

張学良 豪邸 
満州の張学良の豪邸

〉〉〉しかし張学良によると
蒋介石は、「お前のために支那を失った」と終世許すことはなかったという。
〉〉〉張学良は宋美齢の庇護を受け、百歳まで長生し、ハワイで死亡した。


【まとめ】
〉〉〉支那事変日中戦争)は
蒋介石スターリン傀儡として
日本に代理戦争をしかけたのである。
〉〉〉このため反日主義者は西安事件をなるべく隠ぺいし、
研究を妨害する傾向がある。

〉〉〉支那事変が、
スターリンの対独戦に備えた東部国境工作となると、
日本は傀儡・蒋介石の代理戦争の犠牲者となり、
侵略者ではなくなる

〉〉〉事実、日本が何度講和を提案しても、
蒋介石は受けなかった
日本と蒋介石が講和されては、ソ連が困るからである。

そして、日本は・・・・

〉〉〉蒋介石の対日攻撃を読めなかった
このため支那事変に引きずり込まれた。

この裏では1933年からゾルゲが侵入し、
近衛政府中枢の情報をスターリンに送っていた。
尾崎秀美らはスターリンの指令に従い、日本の支那介入を進めていた。

憎きスターリン!憎き毛沢東!
ヾ(。`Д´。)ノ彡

悔しいです・・・
(。´Д⊂) ウワァァァン!

もし、蒋介石が張学良の罠にひっかからず、
西安事件が起きなければ・・・・
考えても詮無いことですが、

まさに邪悪な世界です。
裏切るのが普通の世界なのです。
それでも、日本は植民地にされませんでした。
日本人は奴隷にされませんでした。
私たちの先祖が、命をかけて、この日本を守ってくれたからに他なりません。
感謝しかありません!
(-人-)(*--)人

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