十二支の「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の12の漢字は、
植物(農作物)の一年の様子を象った漢字です。
たとえば、稲の生長過程ですが、
まず、種が子、
種のなかで、芽をだすけれど、まだ外に出られない状態が丑、
地中で、種の殻を破って、芽が出るのが寅で、
その芽が、地上に顔をだすのが、卯です。
その顔を出した葉っぱが、すくっと立って、
田植えができるくらいの苗になるのが、辰。
田植えされた苗が、まっすぐ伸びていく、
上記の稲の図の「分げつ期」というのが、巳です。
そして、
午になって、植物は、花をつけて、受粉します。
未は、作物の実になっていく時期です。
「味」は、口へんと、未(ひつじ)と書くように、
未月は、作物の実がおいしく育っていく時期です。
申は、育ってきた実がしまってきて、
しっかりとした実になっていく時期・・・
そして、
酉は、みのった実を刈り取る時期。
戌:戉(まさかり)が元字であるように、
まさかりで全ての実を取り切る
そして、取れた米の余剰分を、売って商売する時期
最後に、
亥:種になって、来年の発芽のために養分を蓄える・・・
これで、ちょうど一年ですね。
植物(農作物)の一年の様子を漢字にあてはめれば、
カレンダー(暦・こよみ)も作ることができたというわけですね。
参照:【十二支にはなぜ猫がいないのでしょう?
十二支の動物はどうやって割り振られたのでしょう?①】
【十二支にはなぜ猫がいないのか?
そして空想上の生き物・辰(たつ)が入っている理由とは②】
それで、残りの「巳」と「亥」ですが、
巳:精霊を象徴する蛇の形に象り、
神をとどめまつる意を表す。『角川新字源』
巳は、5月5日からの一ヶ月で、初夏の陽気。音は「シ」
上へ上へと、植物が伸びていく状態を表す
〉〉〉陽気が立ち上がって天まで届き、最盛期に向かう。
地上では陰気が隠れてしまう。
感性と理性をともに備えるものの、
両立できずに揺れ動き、不安定になる。
この不安定要素が何らかの手段によって、芸術的表現力となる。
芸術における間接的な表現。特殊な創作能力。
大衆の中で、孤高を保ちながら前進し、大衆の目標となる。
外面が明るく内面が暗い。つまり外面(そとづら)が良い。
常に助けられることを望み、助けることは迷惑となる。
感受性が強い(蛇は触られるのをいやがります)ために、六親に縁が薄くなる・・・
『東洋占星学Ⅰ 十二支』 上田享矢
「巳」って、上の四角が頭で、残り胴体・・・
「巳」という漢字は、蛇の形そのままですよね?
ただ、四角の部分を頭にすると大きすぎるから、こういう図柄になりますけど・・・
それに、
蛇はネズミを退治してくれるし、
脱皮を繰り返して大きくなることで、不死の象徴とされました。
八岐大蛇(やまたのおろち)が、八つの支流をもつ川の象徴とされているように、
途切れることのない川の流れを、蛇と見たて、
川の渦を巻くところを、蛇のとぐろを巻く様子と見たてた、とも言われています。
また、日本の古代語では、蛇は「み」「ち」の音で、「水・み」と通じ、
水の神様として崇められました。
〈白蛇弁財天 栃木県真岡市〉
蛇の十二支入りは、文句のないところでしょう・・・・
そして、12番目の「亥」
亥:もと大きないのししの形を象る。
この亥(囲いの意味)と木で、かご(籠)の意を表したが、
そこから転じて、「核」=「殻」にかこまれた、
果実の中心の「さね」=「種」の意味になった。
音は「カイ・ガイ」 『角川新字源』
11月7日からの一ヶ月。
〉〉〉亥水で、水支配
万物が絶えて、生物や種はじっと春を待つ。
陽気は消滅して、純陰。内外ともに陰。
粘り強く、苦労や困難に向く。
性格は、表面は明朗だが、内面は陰気。
孤独に弱く、衆を作ることを好み、家庭内にあっては、明るさの中心となる。
知恵があり、生活におけるアイディア・工夫が上手で、
計画・企画に見事な才能を発揮する。
何事につけても万全を期し、どんな困難にも知性で乗り切る。
「亥」が「いのしし」になったのは、
漢字自体が「いのしし」の形からできていました・・・・
(≧∇≦)b OK!!!
ちなみに、月偏に「亥」は「豚・ぶた」で、
この月偏は、肉月の月で、
いのししから毛を取ったのが「豚・ぶた」となったのではないでしょうか・・・・
推測ですが・・・・
v(*'-^*)-☆タブン、ソウカモ!!!
また、日本で「いのしし」と読む「猪」は、
中国では「豚・ぶた」を意味する、とのことですよ。
さて、表題の「なぜ十二支にねこがいないのか?」に迫りましょう・・・
子:読みは「し」 水支配
これを、「ね」と読むのは、
この漢字が幼児を象っており、最初の意味を持っているからで、
「根・ね」や「種・たね」に通じることは、②でお話しました。
時期も、12月7日からで、
子月の真ん中が、一年で一番、日が短くなる「冬至」です。
季節は真冬なのですが、
一番日が短くなる頂点の「冬至」を過ぎたら、その時点から、日がすこしずつ長くなってきます・・・
ずっと、真冬、ということはあり得ません。
その分岐点が子月なのですね!
〉〉〉新しい命が種の中に生まれ始める。
陰の気が極限に達し、陽の気が出始める。
「一陽来復」の分岐点であるため、陽を生み出す。
それゆえ、「子供」、子を生む「母」、
そこから(産み出されるものとして)「知恵・学問」の意味をもつ。
なので、知恵と行動、知識吸収と創造が一体化し、前進がうまい。
ただ、蓄積と放出を繰り返すため、運勢の上下は激しい。
初代運の質を持ち、初代であることが成功につながる。(同上)
で、これが、「ねずみ」になる理由ですが、
1、「ネ」は「ヌ」に通じ「ヌスミ」の意味。
盗みをする動物であることから。(『日本釈名』)
2、「寝盗」。寝ている間に盗みをする動物であることから。(『和訓栞』)
そして、3つめに、
3、「ネ」は「根の国」の「根=暗いところ」、「スミ」は「棲む」。
暗いところに棲む動物であることから(『東雅』)
「根・ね」に「棲む・住む」動物で、「ねずみ」
「根」は「子」と同じ意味なので、「子・住み」=ネズミ
ナルホド!∠(*^ー^*)oラジャ!!
では!!!
音が「ね」である「子」、
これを、「子こ・ネコ・猫」としたら、なんで、ダメなのでしょうね???
まず、「ねこ・猫」の語源ですが、
≫≫≫有力な説は、「ネ」が鳴き声、「コ」が親しみを表す接尾語というもの
『源氏物語』では猫の鳴き声を「ねうねう」と「ネ」の音で表現しており、
「猫」の呉音は「ミョウ」「メウ」で鳴き声に由来する。
幼児語で猫を「にゃんにゃん」や「ニャアコ」、犬を「ワンワン」「ワンコ」と鳴き声で呼び、
あとに「コ」を加える点も共通している。
漢字の「猫」は、獣偏に音符「苗」で、
「苗」は体がしなやかであることを表したものか、
「ミャオ」と鳴く声になぞらえた擬声語と考えられている。
(*'▽'*)ワァ♪ソレデ、ネコ・・・
まあ、猫・ねこは、地中の根っこのところには住まないし、
「根・ね」の意味からは、ちょっと遠い動物であることは確かですね。
でも、狭い箱など、
まわりが囲われているところに入っているのは大好きなんですけどね。
どちらにしても、ねこは、かわいいですね。
ネコ派さんがいるのも、肯けます。
昔、私も捨て猫を飼っていて、
一度拾ってきたけど、やはり飼えない、と思って、表に出したら、
うちの娘が、また拾ってきたので、観念して飼ったのですけど、
その子は、私が帰ってくる時間になると、
家族に背を向け、玄関のドアに向かって、ずっと座って、
主人である私の帰りを待っていたそうです。
「また、ニャーちゃん、ママ待ってるよ、みんなにケツ向けて・・・」
だから、というのではないのですけど、
でも!!!
十二支のどこかに入ってほしいですよね、「ねこ年!」
「子」はダメでも、
毛皮から、冬の動物なので、「丑」・・・・
でも、猫って、行動が敏捷だからなあ、ちょっとダメ
「寅」は、気迫の点でダメだったし、
猫の耳は、うさぎのように象徴的ではないから、「卯」もダメ、
「辰」は、植物がしっかり「立つ」からだし、
「巳」:神さまになっている蛇は押しのけられないし、
上に上に伸びていく感じは、ないし・・・
「午」は陽の頂点で「夏至」の時期で、猫は、へばっていそうだし・・・・
「未」は「味」のある肉として食べられても嫌だし・・・
「申」:武官にはなれないし、硬いどころか、形を変えられるくらいしなやかな体だし、
「酉」は「取り・穫り」で、やはり「鳥」に軍配だし、
商売人の「戌」のように、にこにこ、遜(へりくだ)るはできないし、
「亥」は元が「いのしし」だし、毛も硬くないし・・・・
ヤッパリ(^┬ ┬^=)ダメカ・・・
十二支には入れないけど、やっぱり、ねこって、かわいいですよね。
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