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80歳過ぎても感動を与え続ける「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングはどんな星をお持ちなの?

『フジコ・ヘミングの時間』の映画がこの初夏に公開されると聞いて、

久しぶりに、フジコさんの「ラ・カンパネラ」を聞いてみました。



心に響いてくるフジ子さんの演奏。

その音色に本当に引き込まれますし、
主題の音がしっかりと常に響く演奏をされています。
だから、初めてその曲を聞く人でも、
曲の主題がどこにあるかがわかって、安心して聞いていられるのです。

そして、その音色は、
悩んでいたことだって、今はどうでもいいや、という気分にさせられます。

そんな、心が洗われるような演奏。
魂のピアニスト、と呼ばれるゆえんですね。

今、85歳という高齢であられながら、
この4月は、オーストリアでコンサートをやり、
5月5日からは、ジャパン・ツアーで、日本全国飛び回り、
7月までスケジュールがはいっておられます。

もう、凄い!
そして、すばらしい!の一言ですね。


フジコ・ヘミング 1932年12月5日 ベルリン生まれ
  壬
  申
       鳳閣星 天禄星
調舒星  鳳閣星 貫索星
天極星      石門星     天胡星

フジコ1g 

イングリット・フジコさんは、
ピアニストの大月投網子さんと、スウェーデン人の父親との間に
ベルリンで生まれ、5歳で帰国。
しかし、一緒に帰国した父は、開戦間近の日本を離れ、
東京で母ひとりに育てられる。

6歳のころから母親の手ほどきでピアノを習い始め、
小学校3年生(9歳)の時にNHKラジオに最年少で出演し、
ピアノの生演奏をして、天才少女として頭角を現したそうです。

6歳でピアノを始めて、9歳でラジオで生演奏・・・・

たった3年間で、
天才少女と騒がれるまでのピアノが弾けるようになる・・・・

さすが、東京音大(東京芸術大学)卒のピアニストの娘とはいえ、
とはいえ、すごいですね・・・・

フジコさんの命式にある
庚子」と「辛亥」はともに、異常干支です。

やはり、何か、人とは違うものを持って生まれた方なのですね。


〉〉〉2時間ほどのレッスンが日に何回も繰り返され
しかもそれは、大人同様の内容を持つ、厳しいスパルタ式のものでした。
外で遊びたくても駄目、
トイレに逃げ込んでも引っ張り出されて練習…。
そして、母は決して、フジコ・ヘミングを褒めることはなかったといいます。

「ピアノ漬け」という言葉通りの3年間だったのですね。

こんな半強制的な、
それもスパルタレッスンによくついていった、と、思います。

いくら親ががんばっても、
本人が嫌で、習おうという気持ちがなかったら、
ピアノの前に座らされたって、指、動かしませんから・・・

(^w^)ヤラナイヨ・・・

ですが・・・・



夜8時に子供のフジコさんが布団にはいると、
ピアニストであった母親の投網子さんは
毎日、この時間からピアノを弾き始めたそうですね。

そのピアノを聞きながら、フジコさんは、
「なんて素敵なんだろう」と思っていたそうです。
(30秒~)

このときの感動が、
フジコさんも、母親が弾く素敵な音色を、自分も奏でてみたい、
という気持ちになっていたのでしょうか、

それが、
母親の半強制的レッスンにもついていく原動力となったであろうことは、
想像に難くないですね・・・・

それで、フジコさんの陽占ですが、

初年のエネルギー値は、天禄星です。

無限大のエネルギー値の天将星に次ぐエネルギー値11天禄星

これが初年にあると、
親(大人)の期待に応えられる子供になります。
これだけのエネルギー値があると、
大人が何をしてほしいか、何を望んでいるのかが、わかるし、
その要求に添って動くことができるのです。

だから、フジコさんも、
大人同様の、スパルタ式ピアノレッスンにもついていくことができたのだと思います。

それに、頭のところ(親)の星は、
フジ子さんの主星の星と同じ鳳閣星です。

主星と頭の星が同じということは、
すなわち、
自分と親は同じという意識を持ちやすいのです。

鳳閣星は、表現の星です。

ピアノという楽器で、曲の思いを表現をするのが、ピアニストです。

表現の星・鳳閣星を主星にもつフジ子さんが、
母親と同じ、ピアニストという
表現者の道を歩もうとしたのは道理かな、と思います。

そのうえ、フジコさんの陽占は、
この鳳閣星が2つに、
同じ表現の星の調舒星もあって、
合計3つが、表現の星になっています。

だから、
強制的、そしてスパルタレッスンであっても、
反発せずに、母親のレッスンについて行ったのだろうと思います。

もちろん、遊びたい盛りの子供だったフジコさん、
「これで子供のころ、いやいやながら勉強したわ」とおっしゃってますね
(上の動画10秒~)


そして、母の投網子さんが、
なぜ、ここまで、執拗に娘・フジコにピアノのレッスンをやらせたか、というと、

「赤ん坊のころに、ピアノによじ登って弾いてるときのその音が
なんともいえないいい音だから、
この子にピアノをやらせたら、いい音で弾くだろうと思ってやらせた」
とのこと・・・・

やはり、天性のものは持っておられたのですね・・・・


さて、9歳で「天才少女」と騒がれたフジ子さん、

10歳から、父の友人であり、
母がドイツ留学時にピアノを師事したロシア生まれのドイツ系ピアニスト、
レオニード・クロイツァーにピアノを習い、
以後、芸大在学時を含め、長年の間クロイツァーの薫陶を受けていきます。

そして、
青山学院高等部在学中の17才でコンサート・デビューを果たします。

東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中には
毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。
同学校卒業から本格的な演奏活動に入り、
渡辺暁雄指揮:日本フィルなど数多くの国内オーケストラと共演。
たまたま来日中のサンソン・フランソワは
日比谷でのフジ子のショパン、リストの演奏を聴き絶賛したそうです。

国内でこれだけ活躍していたフジ子さん、
ドイツへの留学を試みますが、

一度もスウェーデンの地を踏んでいないフジ子さんは、
18歳でスウェーデン国籍を抹消されて、無国籍状態・・・・

しかし、避難民として30才でドイツ留学を果たすことになります。

〉〉〉ベルリン国立音楽学校を優秀な成績で卒業してからは
ヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。
ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ・スコダに師事。
この間、
“リストとショパンを弾くために生まれてきたピアニスト”と称される。

20世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる
ブルーノ・マデルナにウィーンでその才能を認められて、
彼のソリストとして契約したことは、フジ子が最も誇りにしていることのひとつである。
ちなみにこの契約に際しては、
フジ子の演奏に感銘を受けたレナード・バーンスタインからの支持と援助があった。
ヨーロッパ各地での演奏会、オーケストラとの共演の模様は
日本をはじめオーストリア、ドイツ、スウェーデン等のテレビで放送された。

すごいですよね~

ですけど、異国の地でひとり。

菅野美穂主演のドラマにも描かれていましたが、
苦労も相当にあったのだろうと思います・・・・

ここまでの、フジコさんの大運を見てみますと、

10歳から、独立・自立の星貫索星が回り。
20歳からは、天将星がきています。
ドイツへの留学は、この天将星が後押ししたのでしょうね。



〉〉〉順調な人生を狂わせる不幸がフジ子を襲う。
リサイタル直前に風邪が原因で両耳が全く聞こえなくなり
その後の演奏会はすべてキャンセルを余儀なくされ、
次第に音楽界から忘れ去られていった。

フジコさんの命式は、水性が忌神なのですが、
年干に「水」が透干し、忌神
日支の「」が癸水で、忌神
また、この「子」と年支の「」とで、申も水性となり、忌神
月支の「」も本元が「壬」で水性、忌神

守護神は、月支の「亥」の中の「甲」だけという、
かなり大変な命式をお持ちなのです。

初年の天禄星に続き、20歳からは、天胡星で、
エネルギー値が11から4にまで下がります

このエネルギー値の落差が、
フジコさんの登り調子のときに、
聞こえていた右耳も、全く聞こえないというアクシデントになって、
せっかくのチャンスを逃すことになってしまいます・・・・

本当に、きびしいですね・・・・

耳は、35歳から2年間ほど全く聞こえなかったそうですね。

両耳が聞こえなくなってしまったあと、
国籍の回復もあって、スウェーデンに行き、
ここで、耳の治療をし、音楽学校の教師の資格を取り、

40歳以降は、ヨーロッパ各地で、コンサート活動を続けて来られたようですね。

フジコさんの大運は、
40歳から、やっと守護神がまわり始めて、現在に至っています。

1995年 62歳で日本に帰ってきたフジコさん、

〉〉〉教会で拾ったカードには
「遅くなっても待っておれ、それは必ず訪れる」と書かれていた。

とのこと・・・・


〉〉〉1995年、母親の死去を機に30年余りの外国生活に終止符を打ち、帰国。
「もう人前で弾くことはない」と決意していたが、
平凡なピアノ教師の生活に甘んじることができずに
「人生をもう一度取り戻したい」という意欲がわく。
1998年4月、再起の舞台に母校の芸大の旧ホール(上野奏楽堂)を選んだ。
10月に続き、1999年4月に奏楽堂での公演を行っている。

1999年2月11日にはフジ子のピアニストとしての軌跡を描いた
NHKのドキュメント番組、ETV特集
「フジ子~あるピアニストの軌跡~」が放映され大反響を巻き起こした。
「フジ子の演奏をもう一度聴きたい」という高校生から80才以上の1,000を超える視聴者の要望に応え、
3月2日、4月9日と急きょ異例の再放送が決定した。
その後、同年8月23日、2001年2月12日とこれまでに5回オン・エアされた。

1999年8月4日には4回目の奏楽堂でのリサイタル、
8月25日にはデビューCD「奇蹟のカンパネラ」を発売。

「奇蹟のカンパネラ」は日本ゴールドディスク大賞 
クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
その後、2000年4月に発売したライヴCD「永久(とわ)への響き」は18万枚、
同年8月に発売した「憂愁のノクターン」は33万枚と
クラシックとしては異例の大ヒットを記録した。

「奇蹟のカンパネラ」は、これまでに200万枚以上の売り上げを記録しているそうですね。

本当にすごいですよね。

最後に、
この動画には、子供の時、若い時のフジコさんの写真が出ているので、
挙げておきたいと思います。




そして、


(3分20秒~)
「私が世界で一番うまいって、思っているんじゃなくて、
私は自分のカンパネラが一番気に入ってて、
他の人の弾き方、嫌いなのよ。
鐘(カンパネラ)は最も技巧を尽くして作った鐘
ひとつひとつに魂がはいっているようにさ
ぶっ壊れそうなカンパネラ、あっていいじゃない
私はぶっ壊れそうな、繊細なピアニスト・芸術家のほうが好きだもの
あまり完全で機械みたいなの嫌い
少しは間違っててもかまやしない
機械じゃあるまいしさ」

この「私は私、別にいいじゃない」と言える強さは、

日干が、自分を変えない「庚金」で、
火の星座である射手座を太陽にもつ、
フジコさんならでは、と、私は思います。

どうぞ、これからも長生きされて、
人々の心に響く演奏を、聞かせてください。

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ステージⅣの癌になって奇跡的に回復した経験のもと、自分自身が健康で元気でいるためには、何が体にとって良いのかを追求しているブログです。
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