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サリンを撒いて日本国の王になろうとしたテロリストの麻原彰晃は守護神の揺り戻しで処刑されました

2018年7月6日、死刑判決が確定していたテロリスト
オウム真理教の教祖・麻原彰晃(松本智津夫)
以下7名の刑執行が行われました。

麻原 オウム 処刑 

麻原たちに殺された方の思いも、遺族の方の思いも、
そして、サリンの後遺症で、ずっと患っておられる方にとっても、
終わりはないのだと思いますが・・・・

m(__ __)m

《オウム真理教事件》

オウム真理教の教祖である麻原彰晃が
「救済」の名の下に
日本を支配して、自らその王になることを空想し、
それを現実化する過程で、
世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、
自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い、武装化し、
教団と敵対する人物の殺害無差別テロを実行した事件。
(wikipedia)

自動小銃は、なんと、1000丁
それに、100万発の銃弾を製造していたとのこと。

スゴイ!!∑( ̄[] ̄;)!ホエー!!


オウム真理教事件の三大事件と言われるものは、

①教団と対立する弁護士とその家族を殺害した
 1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件
②教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的として
 サリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した
  1994年6月27日の松本サリン事件
③教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に
 5両の地下鉄車両にサリンを散布して計12人の死者と数千人の負傷者を出した
 1995年3月20日の地下鉄サリン事件ですね。

まさに国家転覆を目論んだテロ事件でした。


1989年4月と9月の説法で麻原は言ったそうです・・・

〉〉〉「悪業を積むであろう人の命を絶ち、
高い世界に生まれ変わらせることは、
凡夫が見れば殺人だが
ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、立派なポアだ

彼は、仏教の高い教義を曲解
すでに犯したものも含め、殺人を正当化していったのですね。

(# ゚Д゚) ナンテコトヲ!

ジャーナリストだった山村明義氏は
地下鉄サリン事件のあと、
家族の中にひとり食い込んで、
なんと、一年近くにわたり取材されたとのこと、

〉〉〉とりわけ家族内で、
「松本智津夫に酷似し、最も強い影響を与えた」とされる長男は、
 話を聞いているうちによく突如として怒りだし、
「自民党政権が悪い」「大企業が悪い」などと、
 日本の政治や社会批判をぶちまけた
 
〉〉〉松本家の教育方針は、基本的には「男尊女卑」や「長幼の序」
 などという当時の九州に残っていた儒教的なもので、
 家族で末っ子だった智津夫は
「家庭内で厳しかったその教育方針に
 激しい憎悪とコンプレックスを併せ持っていた」と家族は口を揃えた。

〉〉〉「智津夫を何度も殴って教育した」という教育係の長男は、
「日本は朝鮮に悪いことをした。
 日本人全員が土下座して謝罪すべきだ」
山村氏が「これを智津夫にも教えたのか」と聞くと、
「そうだ。日本という国家は今も昔も完全に悪い。
日本が悪かったことを、この俺が智津夫に何度も教えた

ありゃりゃ(o_o ;)


2012年7月15日号の『週刊朝日』 
緊急臨時増刊「オウム全記録」からの記事ですが、

〉〉〉日本の三大急流のひとつ、
球磨(くま)川が八代海に注ぐ熊本県八代市高植本町(たかうえほんまち)。
オウム真理教の教祖、麻原彰晃(あさはらしょうこう)こと松本智津夫死刑囚(以下、麻原)の実家は、
藺草(いぐさ)畑の緑が広がるこの町にあった。
地下鉄サリン事件の翌年に母が76歳で亡くなり、
97年にはここで鍼灸院を営んでいた長兄が53歳で死去。
畳職人だった父は「もうここにはおられん」と、間もなく町を去った。
その父も08年、92歳で逝った。
長兄が建て直した実家は解体され、いまは更地になっている。」

〉〉〉1955年3月2日、麻原は生まれた。
一家は両親と男5人、女2人の7人きょうだい。
下から2番目にあたる四男として育った。
ほかに姉と弟が1人ずついたが、ともに1歳でこの世を去っている。」

〉〉〉11歳年上の長兄は全盲で、熊本市内にある県立盲学校で寄宿舎生活をしていた。
麻原も先天性緑内障で左目は見えなかったが、
右目は弱視ながらも見えたため、自宅近くの小学校へ進んだ。

〉〉〉おとなしくて、女の子とままごとばかりしている子どもだった

★太陽や月・生まれた時間に、魚座・蟹座の水星座をもつ男性は、
 女性のような柔らかさを持っていることが多く、
 麻原の「女の子とままごと遊び」というのは、頷けますね。

〉〉〉小学校に入学した年の秋、麻原の人生に最初の転機が訪れた。
家から40キロ離れた、長兄と同じ盲学校へ行くことになったのだ。
子だくさんで貧しい家庭の先行きを案じた両親が、
就学奨励費の受給を目当てに、転校を決めた。
それが、後に世界を震撼させる「狂気」の下地を作ることになると、誰が思っただろうか。
「親に捨てられた」との思いを強くした麻原は毎日泣き、転校を嫌がったが、
「傾きかかった小屋のような家で、
土間にむしろを敷いて生活していた。
長い教師生活の中でも、
あれほど貧しい家は、見たことがなかった」(盲学校小学部時代の教諭)
という状況では、いたしかたなかった。」

・父親は地場産業の畳職人であったが、畳の需要が減って収入が減り、
7人の子供を抱えて生活は逼迫していた。
両親は働きづくめで、智津夫は兄・姉に育てられたそうです(wikipedia)

智津夫の姉と、彼の後に生まれた弟が1歳くらいで死んでいますが、
相当に生活が大変になっていたのでしょうね。

 (゜ーÅ) 悲シイネ

〉〉〉全盲の生徒も多いなか、
右目が見えた麻原は、勉強でも運動でも目立った。
体格もよかった
中学部から柔道を始め、高等部で二段を取得。」
こうして小、中、高、そして鍼灸師の資格を取った専攻科と、
14年間の寄宿舎生活の間ずっと、
麻原は同級生や下級生に君臨した
一方で、
決して上級生には刃向かわなかった。」

★麻原の火星は障害の座である牡牛座にあります。
 男性としての勇気や決断力、行動力において強くは出られない、
 ので、自分より弱いものには君臨するけれど、
 上のものには、刃向かわなかったというのも、わかりますね。

〉〉〉中学部時代は寄宿舎の部屋で「プロレスごっこ」の毎日だった。
同室の仲間同士を無理やり戦わせたが、麻原以外の5人は仲がいい。
当然、遠慮し合う。
すると麻原は「こうやれ」と言って、自分で仲間を殴った
殴っては笑っていた。」

★麻原は長兄からよく「殴られて」教育されていたので、
「殴る」ということに抵抗がまったくなかったのかもしれません・・・・

wikipediaでは、
〉〉〉盲学校では、強い権力欲を見せ、
目が見えるために他の子供たちを子分扱いにし、暴力で支配
全盲の子供を外へ連れ出すと食事をおごらせたり
窃盗を命じたり
全盲の生徒相手に落とし穴を仕掛けたり、
自分の欲しいものを買わせたりし、
「外へ連れて行ってやったのだから日当をよこせ
などと言ってお金を巻き上げていたという。

 o(*≧□≦)o ヒドイ!!!

〉〉〉お気に入りの取り巻きには優しかった。
いつも子分のように振る舞う全盲の生徒がいた。
麻原はその生徒に読ませたい本を手に入れてきては、同室の目の見える生徒に命令した。
「徹夜してでも、朝までに点訳しろ」
翌朝、出来上がった点訳を、得意げに渡した。

〉〉〉カネへの執着もすでに見てとれる。
小学部高学年のころ教諭に、
「先生、僕は大きくなったらカネもうけするから、億の単位で貸してあげる」
と言って驚かせた。
「金持ちにならなきゃ」が口癖だった。

★午前3時34分生まれの麻原の太陽は、
第二室=現世での利益・お金の室にありますが、
彼の人生の目的は、まさに金儲けだったようで、

「金への執着が強く、同級生への恐喝によって
盲学校を20歳で卒業するまでに300万円を貯金していた」(wiki)

w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!

〉〉〉小学部5年のとき、麻原は児童会選挙で会長に立候補した。
落選すると、職員室に行って親しい教諭を教室に呼び出し、その面前で声を上げて泣いた。
「先生が落としたんだ。
みんなに『票を入れるな』って言ったんだろう」
驚いて、教諭は尋ねた。
「どうして、そんなごまかしをすると思うの? 
智津夫君は、みんなに好かれていると思う?」
「うん」
「どうして?」
「僕は3カ月前も前から、『よろしく』って、みんなにお菓子を配ったから。
寄宿舎で出るおやつをためて」
教諭は「この子はとんでもない勘違いをしている」と感じた。
しばらくたってから、配ったお菓子は、
ほかの児童から奪ったものだったことがわかった。

ヽ(  ̄д ̄;)ノハラヒレホロヒレハレー

もし、この段階で、
麻原がやっていることは犯罪であり、
やってはならないことだ、と、厳罰に処していたなら、
ここまでの悪魔ができあがることはなかったのかもしれません・・・・

〉〉〉中学部、高等部でも生徒会長に立候補したが、落選。
寮長の選挙にも落ちた。
将来の自活のため、地道な努力を重ねるしか無い全盲の仲間たちの中で、
いくらかでも外の世界を見ることができて、
力にモノをいわせられた少年は、「王様」であり続けた。
ところが、選挙には落ち続け、自己顕示欲を満たしきれなかった。
そうした複雑な欲求不満を抱えたまま、
麻原は75年3月に盲学校を卒業した。

〉〉〉「代々木ゼミナール」に通い始めてまもなく、
通学電車の中で同じ代ゼミに通う女性と知り合った。
彼女との間に子どもができると、
東大受験を諦めて、78年1月に結婚した。
新婚の二人は千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開いた。
同年7月には長女が誕生。
9月には鍼灸院を閉じ、市内の別の場所に診療室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開いた。

〉〉〉亜細亜堂は繁盛したが、80年7月、
健康保険薬剤不正請求で670万円を追徴され、閉店した。
近所の医者から白紙の処方箋を入手し、適当な金額を記入しては、
健康保険組合などに調剤報酬などを不正に請求していたのだ。

〉〉〉閉店の1カ月後、麻原は阿含宗に入信。
さらにヨガや「肉体修行を通じて個人的な解脱を目指す」小乗仏教的世界にのめり込んだ。

〉〉〉81年2月には「BMA薬局」を開業したが、
翌82年7月にニセ薬を売った薬事法違反容疑で逮捕された。
煎じたミカンの皮などから取り出したエキスを「万能薬」と称し、
「リューマチ、神経痛、腰痛が30分で消える」などという謳い文句で
都内の高級ホテルの一室に人を集めて10万円近く販売。
売上は1千万円以上に膨らんだ。
麻原は略式起訴されて罰金20万円を支払い、再び店を閉じた。

〉〉〉この二つの事件を振り返ると、
盲学校時代に垣間見えた麻原の危うさが肥大し、はっきりと形になってきているのがよく分かる。
麻原は、カネへの執着の強さから、
27歳で詐欺師になり果てていた。
https://dot.asahi.com/wa/2018070600030.html?page=1

〉〉〉83年になって麻原彰晃と名乗り始めると、
翌84年2月、教団の前身となるヨガサークル
「オウム神仙の会」の主宰として、再び世に出てきた。
85年には、座禅を組んだまま浮き上がる
「空中浮揚」に成功したとオカルト誌に売り込み、写真を掲載させた。
矢継ぎ早にトップの著作を出版し、組織を大きく見せる戦略は、
先行する新興宗教と同じ手法だった。
教団の資料によると、
麻原は86年1月に修行の本場であるインドを訪問し、
同年夏にヒマラヤで「最終解脱」を果たした、とされる。

〉〉〉わずか15人で発足した「オウム神仙の会」は、
86年には東京世田谷区に東京本部、
87年には大阪市淀川区に大阪本部をつくり、
設立から3年半で信徒を1300人にまで増やした。
そして87年7月、「オウム真理教」に改称。
全国各地に支部や道場を建設し、教団の拡大を図った。

〉〉〉信徒の増加にともなって、営利追求の姿勢も露骨になっていった。
解脱特別修法10万円、
グルヨーガイニシエーション30万円、
血のイニシエーション100万円……>
修行マニュアルが体系化されて法外な料金を取るようになり、
布施も制度化されていった。
麻原は、チベット仏教のダライ・ラマ14世から秘儀を伝授され、
92年には「タントラ・ヴァジラヤーナ」を国教とするブータン政府から招待を受け、
「最聖」の称号を贈られたと称した。
しかも、タントラ・ヴァジラヤーナとは、
殺人を含めた犯罪も救済のためにはやむを得ない、とする
仏教の最上級の教義ステージだと説いた。
https://dot.asahi.com/wa/2018070600031.html


麻原彰晃(松本智津夫)1955年3月2日 am3:34生まれ
  
     ⇒ 土←木→土
    調舒星 天印星     
車騎星 鳳閣星 牽牛星 ⇒ 金←火→金 
天南星 車騎星 天胡星     ↓    
                 
麻原の命式の「」は、彼にとっての「忌神」になります。
その「乙」に対して、月支の「」は天将星になり、
習金平が持っていたのと同じ「忌神帝王」となります。
つまり、
悪の世界では、努力しなくてても運勢が伸びていきます。

1984年2月に、たった15人で発足した「オウム神仙の会」が、
86年には1300人、
87年7月には、全国各地に支部・道場建設となり、
89年には、宗教法人となります。

が、麻原の場合、
月干の「」が彼の第一守護神で、
それも、第一番目の場所にあります。

イチロー選手やテニスのフェデラー選手がそうだったように、
第一守護神が第一番目の場所にあるのは、
真っ当な世界で生きる人にとっては、
この上なくありがたい命式で、上格の部類にはいるのですが、
こちらを生かさず、
彼は「親に捨てられた」と恨み、悪の道にはいっていきました。

極貧だったせいもあるのだと思います、
〉〉〉(智津夫が)20歳で卒業するまでの13年間、
両親が訪ねてくることはなく、衣服や食料を送ってくることもなかった。
(wikipedia)

「捨てられた」という思いは、より強まったでしょう・・・

太陽が、感覚的・情緒的にものごとを捉える魚座で、
内面の月が、一番不安定な双子座にあって、
男としての火星障害の座牡牛座にある麻原は、
分が傷つかないよう、自分を守るために、
自分を捨てた親が悪い自分は正しいのに周りが悪い、と、
すべて責任転嫁して「忌神帝王」で生きてきたのですね。

人生の最初に、
長兄から殴られながら教えられたのは、
「日本が悪い、この社会が悪い」のであって、
「自分たちは悪くない」でしたから、

暴力は悪いことだ、という意識もなければ、
同級生のお金を巻き上げることも、
また、偽薬を売って金を儲けることも、
詐欺師になることも、
なんらの良心の呵責もなく、行なえたのだと思います。

しかし、
純粋な「忌神帝王」であるなら、捕まらないのですが、
麻原は、その時々で、捕まっています。

守護神は、悪の道に踏み込んでいる人を、
真っ当な道に引き戻す働きをしてくれるのです。

麻原が捕まった1995年
年運は、大運がでした。

実は、専門的になりますが、
忌神である木性は、
土性が多過ぎる麻原の命式にとっては守護神になるのです。
支合して、亥も木性に変化しますし、
の本元は、麻原の第一守護神の「です。
         
もっと早く、この守護神が働いてくれていたら、と、思いますが、

麻原のオウム真理教が、宗教法人になったのは、1989年8月末

この年の3月に申請が出されたのですが、
東京都には元信者や信徒の親から、
「入信した子どもと会わせてくれない」など、
約20件の批判が寄せられていたし、
警察からの報告もあったので、
東京都は、認可を留保していたのですが、
4月末には「陳情」と称して信徒約220人が突然都庁を訪れ、
廊下を練り歩き、
5月には1週間にわたって、
担当の課長や副知事などの職場と自宅に電話攻勢をかけた。
6月に入ると教団は
<法に定められた期限(3カ月)通りに認証しないのは違法>として、
都知事を相手取って行政訴訟を起こした。
そして8月末、念願の宗教法人の認証を受け、その後、訴訟は取り下げた。
麻原は説法でこう言った。
「認証が下りました。
オウム真理教は、宗教法人オウム真理教です」

教団は田口さんを殺害した翌月に宗教法人の申請をし、
認証された3カ月後に坂本さん一家を殺害したのです。

(´Д`) =3 ハゥー

本当に、ため息ですね・・・・

なぜ、こんな胡散臭いカルト宗教に取り込まれたのでしょうか・・・
どこに魅力が?
まだまだ、疑問は残ります・・・・

 
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Re: タイトルなし

> 春生まれの壬水ですが、周りの土性過多により泥水で、流れが止められているとみると、庚金を守護神として水性を強めながら、木性でろ過することで木性を守護神としてみるのではありませんか。
> また、木性は過多の土性を取り除くはたらきもありますし。
>
> どの見方から戊土を守護神とみるのでしょうか。

雪解け水の時期で寅木という流れ先を得た壬水は氾濫します。
壬は形を求め堤防を必要とするため、戊土が必要です。
なので、戊土は調候の第一守護神となります。
が、土性過多なので、木性で剋すということです。

春生まれの壬水ですが、周りの土性過多により泥水で、流れが止められているとみると、庚金を守護神として水性を強めながら、木性でろ過することで木性を守護神としてみるのではありませんか。
また、木性は過多の土性を取り除くはたらきもありますし。

どの見方から戊土を守護神とみるのでしょうか。

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