2018年7月26日
オウム真理教の死刑確定者、残り6人の刑が執行されました。
なぜ、この時期に、という報道もありますが、
日本の法律では、
共犯者の刑が確定するまで、刑は執行されないということ、
そして、死刑の執行は、
「判決確定の日から6ヶ月以内」とのこと。
最後まで逃亡していた高橋克也が捕まって、
刑が確定したのが、2018年1月25日。
なので、死刑の執行期限は2018年7月26日でした。
つまり、
今回の刑執行は、法律に則ってなされたものなのですね
それに、犯した罪の重さを考えたら、
法治国家の日本においては、当然の結末なのです・・・
それにしても、
オウム真理教というカルト宗教にはまってしまって、
人生の最後を「刑死」という汚名で一生を終えなければならなかった彼等、
そんな彼等の多くが、
普通では手にできない医師免許を持ち、
また、優秀な頭脳の化学者や物理学者だったのです。
オウムに入信せずに、そのままの道を歩めば、
並以上の人生を送れたはずなのです・・・・
だのに、そこで道を踏み間違えてしまいました。
なぜに、という思いはぬぐいきれません。
その上、彼等は、高学歴というだけでなく、
悪の道には無縁なすごく善良な人たちでした・・・・
(*・・)(・・*)ソウソウ・・・
坂本堤弁護士一家殺害に関与した故・中川智正は
高校時代は「嫌いな人間はいない」と言ってた人で、
明るく交友範囲も広く、
京都府立医科大学の大学祭では実行委員長を務め、
障害者のボランティアもしていた優しく正義感が強い青年でした。
故・広瀬健一も、
中学校時代、教師から
「級友の面倒見がよく、すばらしい生徒に出会えて幸せだった」
と絶賛されたそうですし、
学費は奨学金を受けて、自分で工面し、
母親と一緒にメッキ工場でアルバイトする
親思いの青年だったそうです。
また、故・林泰男の死刑判決文には、
「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、
被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。
およそ師を誤まるほど不幸なことはなく、
この意味において、
被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」
とあって、林はサリンで人を殺めたけれども、
裁判官が異例中の異例の文を述べたくなるほどの人だったのです。
そして、犯してしまった罪に対しては、
たとえば、
坂本堤弁護士一家を殺害した故・岡﨑一明(宮前)は、
「教義を妄信し、過ちを犯した。
極刑で生涯を終えられたら本望」と手記に記していますし、
また、故・豊田亨は、
「自分は拘置所から一歩も出てはいけない。
それが贖罪だ」と言って、
裁判所に出廷せず、拘置所での証人尋問をしていますし、
7月6日の麻原らの刑執行のあとには、身辺整理を始めて、
手元にあった現金を、今回の豪雨の被災者への義援金として全額寄付しているのです。
麻原の洗脳から解き放たれれば、
犯罪とは縁の無い人生を送ったであろう人たちばかりなのです。
そういう、みんなのお手本になるくらいの良い子が
なぜ、麻原のような詐欺師にひっかかったのでしょうか?
(*・_・)(*~^~)/??ナゼ?ナゼ?
精神病理学の高橋紳吾先生は、
〉〉〉暴走族に入るような子はカルトに入らないんです。
とおっしゃいます。
〉〉〉それは自分が悪だとわかっていて、
こんなもんだというふうに身体性を持っていますから。
ところが、優等生は学校での勉強のものなので、
すべて頭の中で組み立てられる。
まさに「身体性」がない世界です。
(*゚.゚)ホ・(*゚。゚)ホーーッ!!
滝本弁護士サリン襲撃事件・東京都庁小包爆弾事件に関与して、
懲役15年の刑を受けた富永昌弘は、
「先が見えてしまう。死んでいくだけだ」
「死を超えるにはどうしたらいいのか」
と思い悩んでいて、石川公一の勧めで、オウムに入信したそうですが、
彼は、灘高校時代には、
東大・京大などの最難関大学に挑む理系学生が読者の、
『大学への数学』での学力コンテストで三期連続一位を取り、
東大医学部にストレート合格しているのですが、
ちょっとおもしろい記事を見つけました。
〉〉〉「東大入試の、最後の科目が始まる前の休憩時間、
隣の隣の席にいた灘の同級生に
『オレ、最後の科目0点でも合格やわ』と言ったら、
同級生は『スゴイなー。ま、オレもあと10点やけどな』と答えた。
オレらの間にいた他校のヤツは必死で参考書読んでたけど、
合格発表見たら、そいつはやっぱり落ちてた」
ヾ(~∇~;) コレコレ
〉〉〉ある灘高OBが朗らかに語る。
彼にとって、東大受験は
「朝起きて歯磨きをする」のと同じくらい簡単なことで、
「落ちる可能性はゼロ」だった。
「ああ灘高よ、日本で一番勉強ができた子たちの『その後』
大人になって思う、僕らは変人だろうか」2010/5/12
o(>▽<o)(o>▽<)o
オウムに入信したのは、1992年6月、医学科6年在学中。
これまで、勉強ができて、つまずくところがなく、
すべて順調に来てしまったがゆえに、
「先が見えて」しまったと感じたのかもしれません。
医学生は解剖実習がありますから、
余計に「死」が彼の中でクローズアップされたのだろうと思いますが、
その答えのない問いに悩んでいる人に
「その答えを教えてあげる」とささやいて近づいてくるのが、
カルト宗教なんですね・・・・
高橋紳吾先生はおっしゃいます、
「カルト問題は先進国にしかない」と。
〉〉〉発展途上国のようなところでは生きていくのに精一杯だし、
経済的ゆとりもない、一様にものがない。
戦後のものがない時代は、
ものさえ手に入れられれば幸せになれるだろうとがんばってきた。
〉〉〉社会がシンプルな時代はカルト問題は起こらない。
だけど、現代の若者たちは身体は健康だし、ほしいものは何でも手に入る。
今は、生活苦とは無縁の時代になっている。
そして、
〉〉〉いろんなことが自由になりすぎて、
よく言えば価値観の多様化ですけども、
単なる悪しき個人主義になってしまった。
〉〉〉家族が崩れてしまっているわけです。
家族というものがだんだん崩壊していって、
核家族から単家族になった。
子供が引きこもって、パソコンやコンピューターゲームばっかりやってる。
おじいちゃん、おばあちゃんの話を聞かない。
僕たちの子供のころ、おじいちゃん、おばあちゃんに連れられてお寺に行ったもんですが、
そういうこともなくなった。
〉〉〉そうすると、命のつながりというものがなくなります。
命のつながりがなくなってくると、
自分しか目に入らない。
他者が視線に入らない。
ですから没体制的なんです。
これは非常に深刻な問題です。」
富永や石川公一が卒業した灘高校、
ここにはイジメがないのだそうです・・・・
なぜかと言うと、
〉〉〉基本的に他人のやることには「不干渉」を貫く。
他人は他人、オレはオレ。
従って、リーダーやマネジャーとしての資質に欠けている人間も多い。
だから、イジメはない・・・・
なるほど (*゚ェ゚))フムフム
だけど、真の友人はできない・・・
〉〉〉親密な仲間集団を求める欲求、
すなわち親和欲求というものが満たされていない状態、
つまり孤独ですね、
孤独な若者がいて、ほんとに心を開いて語り合う場所だとかいうものがない。
そういう人にカルトは場を提供するということなんです。
人は「個」では生きられない、
弱い生き物だからこそ、助け合う・・・・
その心のよりどころとなるのが、「家族」であり、
「仲間」であり、「共同体」なのだと思います。
それを壊すように、戦後の日本は歩まされてきました。
「個人主義」だけではダメなのです。
「人」は「個」では生きられないのですから。
経済優先、効率優先の社会になって、
結果、日本人みんな、自信がなくなってしまいました・・・
どのくらい優秀で、どれだけ社会に役立っているか、
という基準でしか計られないので、
なかなか、その自信は取り戻せなくなってしまった・・・
だから、歯車のひとつでしかない、と考えてしまう・・・
でも、そうではない、と、高橋さんはおっしゃいます。
お釈迦様は「天上天下唯我独尊」とおっしゃっている、と。
「そのまんまで私はかけがえがないんだ」ということ。
このかけがえのなさ、何者も代わることができない私である、ということ。
それ以上に、大切なものはないのだ、とおっしゃっています。
そう思えることが「自尊心」であり、
今ある自分を肯定してあげる、ということが大事なのかもしれませんね。
そして、
〉〉〉そもそも輪廻転生ということが仏教の基本的な考えであるわけがなくて、
お釈迦様は死後の世界について無記、
よく分からないと教えられています。
ですから、
現在の今を生き生きと生きる、
これこそが仏教の神髄なんです。
そうお話された高橋紳吾先生は、
この講演の翌年2005年、52歳という若さでおなくなりになっておられます。
すべては、心の問題なのですね。
オウム真理教に取り込まれ、
麻原に洗脳されて犯罪を犯した彼等を調べていて、
そこには、戦後の日本が共同体を壊され、
大家族から核家族にされていくことで、
それまで人々が拠り所としたものが壊されてしまった、
そのひずみが
カルトにつけ込まれる最大要因だったのかもしれません。
今一度、立ち止まって考える問題は山積みのような気がします。