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Re: 同じ日生まれの山根明元会長について
これこそが、この世に運命はない!の証拠ですね。もらった命式をどう生かして、運気をどうつかんで、どう消化するか、で、ここまで違う人生になってしまいます。
山根さんは、もともとが、密入国の朝鮮の方ですから、生粋の日本人の尾畠さんとは、そこから違うのだと思いますが、戊戌年の今年に、二人がこれだけ世間を騒がせたのも、むべなるかな、ですね。
時間があったら、記事にしてみたいと思います。
東洋算命学と西洋ホロスコープであなたの運気と個性を占います
2018年のお盆になって、
2歳になったばかりの男の子が行方不明になってましたが、
3日後、68時間ぶりに、
大分県からかけつけてくれたボランティアの尾畠春夫さんによって、
無事、発見されました。
〉〉〉よく生きていた――。
(山口県)周防大島町家房で行方不明になっていた、
防府市の藤本理稀(よしき)ちゃんが3日ぶりに見つかった。
〉〉〉地元の消防団長を務める浜本孝則さん(60)は
理稀ちゃんが行方不明になった12日から捜索に加わっていた。
「14日も山をしらみつぶしに探したが、見つからなかった。
この暑さでよく生きていた」と喜んだ。
〉〉〉3日間の捜索は警察、消防、海保、町役場に加え、
地元住民やボランティアも多く加わっていた。
〉〉〉理稀ちゃんが見つかったあたりの山中は
10年ほど前まではみかん畑があったが、
いまでは地元の人でも近づかないという。
「まむしもいるし、草もぼーぼー。
ずっと上り坂で子どもにはきつかったのでは」と気遣った。
朝日新聞 2018/8/16
よしきちゃんが、行方不明になったのは、
8月12日午前10時半ころ。
おじいちゃんと兄(3歳)と三人で、海へ向かって歩いていたところ、
家から100メートルのところで、「帰る」と言ったので、
一人で帰らせたとのこと。
おじいちゃんが、2歳の子を一人で戻らせたのは、
後から母親が来るから、理稀ちゃんひとりでも、
戻っていけば、母親と出会うだろうから、
大丈夫では、と、思ったのではないでしょうか?
だから、ひとりで戻らせたのだと思います。
母親のほうは、先に家を出た3人を追いかけて、
5分後に、他の二人の子供を連れて、海岸へ向かったのですが、
よしきちゃんとは出会うことがなく、家に戻っていないことがわかったとのこと。
その理稀ちゃんを、3日後の、15日早朝に見つけた尾畠春夫さん。
尾畠さんは、まっすぐで、
そして、何も疑わない方なのか、
報道陣が、生年月日を聞いても答えるし、
また住所も聞かれたまま、答えて、それも細かく話しされています。
もちろん、住所をしゃべっているところの音声は消されていますが、
おかげで、尾畠さんの生年月日がわかりましたので・・・
尾畠春夫さん 昭和14年10月12日生まれ
壬 甲 己
午 戌 卯
牽牛星 天極星
牽牛星 玉堂星 調舒星
天報星 鳳閣星 天南星
太陽・天秤座で、月も天秤座です。
太陽・月、両方が天秤座なのに、
全く警戒心なく、住所まで、答えてしまわれる・・・
天秤座はノリのいいところがありますけれど・・・
「えと(干支)は、黒ウサギ、奄美の黒ウサギ」
報道陣の人たちも(゚m゚*)プッ
それに、尾畠さんは本当に涙もろく、
よく涙ぐまれているのをみると、
火の星座を生まれた時間にお持ちではないかな、と、思うのですが、
それはともかく、
尾畠さん、
出発前に、インタビューを受けたときに、
理稀ちゃんに会えそうな気がする、って、言っていたそうです。
そのことを自宅に戻った尾畠さんに聞いたインタビュー動画
「朝3時半目が覚めて、
ご飯食べたり、いろいろ用意しよっと時に、
なんかね、胸騒ぎちゅうんでもないけど、
なんか今日、彼に会えそうな気がしたんですよ」
そして、本当に、出発して30分ほどで、
理稀ちゃんを発見してしまったのですが、
尾畠さんの日干支・壬午は、
丁亥、辛巳とともに、三大霊干支と言われるもので、
正夢を見たり、
先を見通せたりする力を持っているのです。
特に、尾畠さんの場合、
月干支が甲戌で、これも異常干支ですので、
余計にその力が現れるのではないかな、と思います。
そして、尾畠さんの第一守護神「甲」が
第一番目の場所の月干にあり、
そのうえ、その根っこが年支の卯で、
甲に対して卯は、天将星になります。
つまり、尾畠春夫さんは、守護神帝王!
スゴィッ(*゚д゚ノノ
本人の努力にかかわらず、運勢が伸びていく・・・
その運勢も最高に強い・・・・
ヾ(*゚∀゚*)人(*゚∀゚*)ノ
なのですが、
ちょっと残念なことに、
この守護神帝王になる「甲」は
お隣の年干の「己」と干合して質を変えているときがあるので、
純粋な「守護神帝王」ではないのですが・・・。
でも、
〉〉〉40歳で登山を始めて、
58歳で北アルプス55山を単独縦走した。
そのころから、
由布岳の登山道の整備のボランティアを始めていた。
月に7・8回、30キロから40キロの材料を担いで登り、
登山道の整備をしたり、案内板を設置したりした。
65歳の誕生日で、鮮魚店をやめて、
鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで、
日本列島を徒歩で縦断する旅に出る。
2006年4月1日に出発、
7月1日に全行程3250キロを歩き、無事到着。
「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、
体力がどのくらいもつのか、動機は単純じゃ」
体力作りは、
「普段は、毎朝8000メートル走ってるんです。
毎朝、12700歩くらいかな。
家おるときはね、5時~6時くらいまで。」
・・・「8キロというのは、何か根拠でも・・・」
「いやあ、私は末広がりが好きだから・・・」
そして、健康面では、
「悪いところは三つあります。
顔が悪いんです、
色が黒すぎます、
足が短すぎます」
と言って笑わせているくらいで、
体調の悪いところはないみたいですね。
そっか・・・
生まれた年が卯年で、うさぎ=白い・・・
だから、色の黒い自分のえとは「黒ウサギ」・・・・
リョウカイ!(^-^ゝ
そして、日本縦断の旅のときに、
毎日、朝夕に孫の声を公衆電話で聞くことで、
それを励みにしていた、
という話ですから、
尾畠さんには奥様がいて、そして子供もいて、
その子供も結婚して、孫も生まれていることがわかります。
大成功というわけではないでしょうが、
人並みかそれ以上の人生を歩まれたのではないでしょうか・・・・
尾畠さんはおっしゃいます。
「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。
社会に恩返しがしたい」
と言ってされているボランティア。
尾畠さんのご実家は、貧しかったので、
小学校5年生のときには、
農家に奉公に出されたって、おっしゃってました・・・・
この時期は、尾畠さんの大運の天中殺の時期でしたね。
やはり幼いときに苦労されているからでしょうか?
この奉公したときのいろんな経験・体験や思いが、
社会に恩返しがしたい、という思いにつながっているのでは、
と、推測します。
尾畠さんは、
守護神帝王に準じるものを持っておられるだけあって、
鮮魚店の経営は、それなりに繁盛されたのではないか、と、思います。
だから、恩返し、と!
それにしても・・・・
見つけてくれたお礼として、
理稀ちゃんのおじいさんが、食事とお風呂を、と言ったら、
お断りになられたそうで、
ボランティアは「自己完結」「自己責任」と。
天秤座は太陽の下降の位置なので、
あれもこれもはやれないのです。
やれることは一つと、決めています。
その意味で、とても頑固ですし、
尾畠さんは、太陽も月も天秤座のダブルなので、
余計に、その信念は固いのだと思います。
助けてもらったほうは、せめてのお礼がしたい、と思うのですけど・・・・
それに、
壬午は、財と名誉を兼ね備えている干支です。
まじめでしっかりしている人で、
真面目に生きることで、名誉も財も安定します。
大きな財は身につかないが、
日々の生活に困ることはない・・・
広島の豪雨災害でのボランティアも、
泥水を含んだ畳を二人で運ぶ方法を伝授したりするけれど、
尾畠さんはもっぱら、
床下の泥かきをおやりになっていたとのこと。
率先して、人が嫌がる汚れ仕事をおやりになる尾畠さん・・・・
本当に、頭がさがります。
〉〉〉「おいちゃん、ここ」って言う声が聞こえた時は、
頭がまっしろになりました。
もううれしかったです。
小さな命が助かったなあ、って、思って(涙)
本当にうれしかった。
〉〉〉「マイクで母親がよびかけていたのは聞いたけれど、
本人には感じんじゃろな、と。
それより、みんなで山の中にはいって、
ナマの声でな、よしくーん、って言ってあげたほうがずっといいと思う」
〉〉〉「何も求めないのが真のボランティア。
それも日本人のよいところのひとつだと思いますね。
〉〉〉「人の痛さ、悲しさ、つらさ、
それがわかる人間になってほしい」
〉〉〉「水さえあれば、大丈夫。食い物だけではだめです。
あの状態だったら、あと4・5日は大丈夫じゃろね。
人間て強いなあ、って、思った、
水があったら、生きられるなあ、って、思った。
背中には、
〉〉〉命はひとつ、人生は一度 交通安全
報道の人が、尾畠さんが背負ってるリュックを見せて、といったら、
「昨日、買ったばっかしなんじゃが」
と冗談言って見せてくれたリュックは、
使い込まれて、
蓋のふちも手縫いで修理してある年季がはいったもの。
スマホはもちろん、携帯もお持ちでなく、
車中泊をするための寝袋も、ご自分で縫われたもの、とのこと。
そして・・・
「大分県です」
「幼い子供の命を助けてあげたいなあ(涙声)と思って・・・」
「わざわざではないです。日本人だから」
人のために親身になってできる民族が「日本人」
私も、日本人として生まれたことを、誇りに思い、
そして、私も、
人様のために役立つことをなにかしたい、って、思う日々です。