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親鸞聖人の「悪人正機」説。「悪人こそ往生できる」っておかしくない?人間はみんな「悪人」なの?他力本願って、奥が深かった

「悪人正機」

親鸞聖人『歎異抄』にあるものですが、

「どういう意味?」と、ひっかかっておりましたら、

こんな面白い本に出会いました・・・


「親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで、『悪人正機』を解いたら」


親鸞

「悪人正機」とは、
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
という『歎異抄』の一節なのですが、

善人でさえ往生できる
そうであるなら悪人は言うまでもなく、往生できる

あれ?( ̄ー ̄?).....??

これって、普通に考えたら、反対で、
「悪人でさえ往生できる。善人は言うまでもない」のはず・・・

さて、これを、著者の向谷匡史さんはなんと説かれるのか、
と興味津々で、読み始めました。

で、読み始めたら、面白い・・・

[*≧U≦*]面白い!

親鸞は、ヤクザの事務所にはいってくるなり、
「あのう、こちらに悪人がたくさんいらっしゃると聞いてきたんですけど」
とすずしい顔して言った・・・

こう始まるので、ついつい、読みすすめてしまいました。

「実は私、御浄土から娑婆に、悪人を救うために参りました。
親鸞と申します」

あの世に行くのが「往相」で、
あの世から返ってくるのが、「還相」(げんそう)というのだそうですが、

親鸞さんは、あの世からやってきた???

まあ、小説なので、許すことにしまして、

次にくる「小見出し」が、

「兄弟は同時に生まれる」

「えっ!何?そんなばかな!?」って、聞きたくなりますよね?

それで、また、読み進めるという次第で、
どんどん、ページが進んでしまいました・・・

仏教では、この世は「苦」だと言いますが、
でも、楽しいこと、って、一杯ありますよね?

で、なぜ、この世は「苦」だというかというと、

「楽しいこと」って、ずっとは続かない。
ずっと「楽しい」でいられればいいのですが、
「楽しい」ことは、終わってしまうのですね。

満足って、終わりがあるんですよね。

どんなにおいしい料理を並べられても、
満腹になったら、それ以上食べるのは、
逆に苦痛になってしまうように、

げらげら笑って、おもしろい漫才も、落語も、
何回か見ると、飽きてしまうし、

この前、楽しいと思ってやった遊びも、
二回目、三回目となると、慣れてきて、おもしろくなくなります。

「楽しい!」と、永遠にたのしんでいることができない、
そういう悲しい因果の元に生まれてきたのが、わたしたち、人間のようなのです。

「慣れて、飽きてしまう」、それが「快楽」の困った点なんですね。

常に、新しい刺激を求めてしまう、
だけど、いつも面白く楽しいことがあるわけではないので、

それが、私達の「悩み・苦しみ」の種になっている、と。

だから、
この世は「苦」の世界である、と仏教では言うようなのです。

「苦」はわたしたち人間の、もっともっと、と思う気持ち、
つまり、「煩悩が作り出している」と。

まさに、その通りなんでしょうね。

すべての苦しみは、自分が作っている。
今の状態をすべて甘受できたなら、不満は一切出てこない。

それはそうですが・・・

重病になっても、それはそれでいい、とか、
泥棒が入ってきて、お金を盗られてもそれはそれでいい、とか、
そのあげくの果てに、殺されてもそれはそれでいい、

なんて、言えるわけがないですよね?

思い通りにならない現実に悩み苦しむ・・・
だから、人間は煩悩の塊だ、というのです。

しょうがないですよね!
「殺されてもいいや」なんて、誰も思いませんよね?

親鸞さんは、この煩悩を消すために、
「常行三昧」という修行をやったそうで、

〉〉〉十メートル四方ほどの常行三昧堂で、不断念仏を行うんやて。
阿弥陀仏の名を称え、阿弥陀仏を念じながら、
堂内の阿弥陀仏象の周囲をぐるぐるまわる。
二十四時間、九十日が一サイクル。
絶対に座ったらあかん。
ご本尊のまわりに手すりがあって、
疲れたらこれにすがって歩くし、
体が動かんようになったら、
天井からつり下がったヒモにつかまって休むんやて。

すごーい、 (*゚0゚*)
厳しすぎー・・・\(⊙⊙;)/.

このような厳しい修行を、
親鸞さんは、9歳から29歳までの20年間、行ったそうです。
しかし・・・

組長「たいしたもんや。悟ったのはいつや?」
親鸞「悟れません」

〉〉〉定水を懲らすといえども、識浪しきりに動き、
心月を観ずといえども妄雲なお覆う

〈訳〉
・・・私の心は常にさざ波が立ち、
心にさとりの月を眺めようとしても、
煩悩に覆われて見ることができないでいたのです・・・

と、親鸞さんはおっしゃるのです。


「見ざる、聞かざる、言わざる」という
日光東照宮の猿の彫刻は有名ですが、

この三つの「ザル」は、やろうと思えば、できます。

だけど、
「思う」の猿、「思わざる」だけは、
どんなにがんばってもできなかった、と、親鸞さんは言うのです。

厳しい修行であるからこそ、
ああ、疲れた、やすみたい、横になりたい、と、
ふとした瞬間に思ってしまうし、
その苦しい修行をがんばってやったらやったで、
他の修行僧とその優劣をふと比較して思ってしまう

片時とて、何かを「思わない」ではいられない人間は、
この「煩悩」から逃れることはできない・・・

明鏡止水のような、
気持ちが波立つことのない、澄んだ境地にいることができないのです。

つまり、「悟りの境地」には至れない、と、
親鸞さんは、二十年間苦行して、わかった、と、言うのです。

つまり、人間は
「自力」悟り」を得ることはできない、のです・・・

じゃあ、どうするか・・・

と、考えた親鸞さんは、法然さんのところに弟子入りします。

法然上人は、「自力」=難行・苦行での悟りはできない、と、
悟っておられたのか、

仏さまのお力で、悟りを開こうとされたのです。

それが、「他力」=仏様のお力であり、
「本願」さまが衆生を救うとされた請願」だそうです。

すべての修行を難行、雑行として退け、
阿弥陀仏の本願力を信じて、
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、
出家してない人でも、救われる、と説いておられました。

これを「専修念仏」というそうですが、

念仏を唱えれば、誰でも極楽往生できるというので、
法然の教えは、多くの人に広まりました。

人として普通の生活をしていれば、
どんな人も、仏様のお慈悲にすがって、
「南無阿弥陀」と唱えれば、極楽往生できるのです、と。

それを証明するために、
親鸞さんは、わざわざ妻帯をして、肉食をする生活を始めたそうなのですが、

「悪人正機」の「悪人」とは、
「煩悩」という「苦しみ」から逃れられない人間、
「この世に生きている人間すべての人」のことを言っていたようなのです。

それじゃあ、人を殺したり、人からものを盗ったり、という本物の悪人は?
というと、

仏教では、殺生を戒めていますし、
人としてしてはいけないことは、論外なのだと思います。

また、
「他力本願」の対義語に近いのは、
「自力作善」だそうです・・・

〉〉〉「自力作善」も仏教由来の言葉です。「自力作善」には「自分の力で善を成し遂げようとすること」「一人の力で善を成し遂げられると思うこと」などの意味があります。news.mynavi.jp/article/20210813-1932090/

仏さまは、衆生を救おうとされておられる、

その衆生を、煩悩を滅せられない「悪人」と言うのであれば、
その「悪人」を救わない「仏教」は意味がないのではないか、

そう思ったら、親鸞さんの「悪人正機」説、
なんだか、わかった気がしました・・・

さて、向谷匡史さんの、
「親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで、『悪人正機』を解いたら」

結局、ヤクザ事務所に乗り込んだ親鸞さんは、どうなったの?
説かれたヤクザ事務所の組長さんは?
という話については、ぜひ、向谷さんの御著書をお読みください。

親鸞さんと組長さんとのやりとりは、とっても面白いです。
ひさびさに面白い一冊でした!
ぜひ、みなさんも、このご本、読んで見てください。

   ・・・・・・・・・・・
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