日本には、上代の時代に神代文字と言われる文字がありました。
その数、35種類・・・
代表的なものは、「豊国文字」「ヲシテ文字」
「ホツマ文字」「阿比留草文字」「出雲文字」
そして、「カタカムナ文字」などあります。
しかし、
平安時代の初めころに、
斎部広成(いんべひろなり)という方が、
『古語拾遺』という書物の中で、
「日本の上代には文字はなかった」
「上古の世、未だ文字有らず」と記したことから、
その時以来、日本には、
漢字が中国から入ってくる
飛鳥・奈良時代以前に文字はなかった
ということになってきました。
そして、
「ひらがな」も「カタカナ」も、
漢字から作られた、ということになっていました。
ですけれど、簡略化した文字を、何故に二通りも作ったのでしょうか?
中国にも簡体文字がありますが、一種類だけです。
簡単に使える文字として作ったのが、
省略文字の「ひらがな」「カタカナ」のはずなのに、
何故、二通り作って、より煩雑にしたのでしょうか?
それに、
元になっている漢字が、ひらがなとカタカナでは違っていますし、
(「安・阿」「以・伊」「衣・江」「計・介」・・・)
また、かな・カナへの変形の説明が難しい文字もあります。
「左→さ」「散→サ」「良→ラ」
もしかしたら、「ひらがな」「かたかな」というのは、
上代の神代文字からできた省略文字だった!?
たとえば、くさび形の文字からできたのが、カタカナだった?とか
上代に文字はなかった、としたので、
漢字からできたことにしないといけなかったので、
それらしい漢字を当てはめた?
・・・という推測ができる理由は、
斎部広成は、『日文伝』の「神代像字伝」で、
秘密なのだけど、斎部家と橘家には秘伝するよ、と書いているそうですし、
また、広成の数代後の人は、
代々伝わる上代の文字「斎部文字」を発表しているそうです。
「何故、太古日本の神代文字は学校で教えてもらえないのか」より
・・・それにしても、
漢字が入って来る前に文字はなかった、と言いますが、
日本人は文字がなくて、耳で聞く音だけで意志疎通をはかったきた、
というのでしょうか?
共通の言葉のルールがなければ、意志を疎通させることはできません。
その言葉のルールは、音を表す文字がない状態で、みんなが共有できるものなのでしょうか?
音を表す文字を欲しいとも思わなかったのでしょうか?
また、文字がない未開の国に、文字が入ってきたら、
言葉は、中国語になってしまいませんか?
文字を伴っての言葉のほうが強いですよね?
日本は、中国から漢字を受け入れましたが、
中国語にはならずに、日本語を維持しました。
それは、日本語を表す文字があったからなのだと思うのですが。
これは、《出雲文字》ですが、五十音になっています。
《カタカムナ文字》
今と、同じく五十音になっています。
そして、実際に、古代の文字は残っています。
大分県国東(くにさき)半島にある巨石のペトログリフ
石自体は、失われてしまっているそうです。
平安時代、鎌倉時代の人が、上代の文字を書いています。
その理由は、
伊勢神宮に奉納する時には、神様が嫌う外来の文字ではなく、
神様が喜ばれる神代文字で書くのが、慣例になっていたそうです。
稗田阿礼が口伝して、太安万侶がそれを書き写したのは『古事記』ですが、
その稗田阿礼の奉納のものもありますね。
日本には、漢字が渡来する以前に文字はなかった、というのは、
嘘だよね、って、思います。
日本には、漢字渡来以前に文字があった!
斎部広成が生きていた平安時代は、
公家や官職にあった男性は、みな漢文で書いていた時代でしたね。
ひらがなは、女・子供が書くものでした。
土佐日記の冒頭は、
「男もすなる日記といふものを、おんなもしてみんとてするなり」
土佐日記の作者、紀貫之は男性ですが、
「ひらがな」で日記を書きたかった?からか、
書いている人物は女性です、として、書いていますよね?
やはり、この時代、
教養のある男性がひらがなを使って書く、というのは、
はばかられたのでしょうか。
そのくらい、漢字で書けるということが男性には必須の教養だった、
それは、すなわち、
中国・唐の力が強かった、ということだったのでしょう。
斎部広成も、好んで「嘘」を書きたかったわけではなかったでしょう。
当時の日本の政治的状況が、漢文主導であり、
上代の文字を尊重するなどということは憚られる、
そういう状況にあったのでしょうか。
いや、はばかられる、どころか、
上代に文字があったことは、消してしまわないといけない、
そういう流れの中にあった時代だったのかもしれません。
古い言葉を集めた『古語拾遺』なのに、
そして、本人が古い文字を知っているのに、
「日本の上代に、文字なんて、なかった」と、記述したということは、
きっとそういうことだったのかな、と。
そこまで、当時は、神代文字の存在は、秘すべきものだったみたいですね。
広成の「神代像字伝」には、
神代文字は「斎卜部家の秘符なり」「他見許さじ」
と書いてあるとのこと。
しかし、何故に、
日本の上代に文字が存在してはいけなかったのか、
上代に文字がなかった、ということは、
古史古伝である『大友文書』(ウエツフミ)
『ホツマツタエ』『カタカムナ』
『竹内文書』『九鬼文書』『富士宮下文書』などの
上代の文書の存在もなくなる、ということになります。
竹内文書や富士宮下文書が伝える
「ウガヤフキアエズ(鵜茅草葺不合)王朝」などというものは、
なかったことにされたのだと思います。
たぶん、
『古事記』『日本書紀』の成立と関係しているのだろうとは思うのですが、
おかげで、古代の歴史が何もなかったことになってしまいました。
それだけでなく、『古事記』『日本書紀』に書かれていることすら、
「神話」と言われて、作り事となってきました。
・・・ですけれど、
上代の時代に、五十音の文字があったということは、
それはすなわち、文明があった証拠であり、
そこには、生きていた人々が存在していたし、
国があった、ということは、否定できない事実なのではないか、と思うのです。
また、『カタカムナ文献』には、
〉〉〉日本には「カタカムナ人」と称する
高度な文明種族が先住しており、
八分円図象を用いて超高度な科学知識を表現し、
星々の運行から現代の素粒子の問題まで解明していたという。
〈異端の超古代文献「古史古伝」の数々/世界ミステリー入門〉
なにゆえに、なかったことになったのか理由はわかりませんが、
いえ、あったと決まったわけでもありませんが、
大昔にいたかもしれない超優秀な日本人!
その日本人の末裔である私達!
とかって、考えると、楽しくなりませんか?
ね!
縄文時代から日本は、稲作の国でした。
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